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202号 注目の人 女優/高畑 淳子さん

「好きな仕事でお金をもらえる。こんな幸せなことはない、と思います」
高畑 淳子/女優
Profile

高畑 淳子/女優
1954年香川県生まれ。
桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻卒業後、青年座に入団。
舞台女優としてデビュー。
受賞歴は、紀伊国屋演劇賞個人賞、芸術祭個人賞、読売演劇大賞選考委員特別賞、読売演劇大賞女優賞、菊田一夫演劇賞。
近年は演技派舞台女優という立場を超えて、ドラマ、映画、バラエティー番組と幅広く活躍中。最近の映画出演作は「男たちの大和」など。
菊田一夫演劇賞を受賞した「越路吹雪物語」は、大阪松竹座3月4日~14日、日生劇場3月17日~28日に公演。
オリジナルホームページは
http://members.jcom.home.ne.jp/atsuko1011/home.htm


1番不思議で面白い役にめぐり合えた


3才ごろ

 この3月に東京と大阪で上演する舞台「越路吹雪物語」は、2003年が初演。池畑慎之介(ピーター)さん演ずる越路吹雪さんのマネジャー・岩谷時子さんを演じています。一昨年にはこの役で菊田一夫演劇賞をいただきました。私はこれまで“大砲系"というか、舞台が始まってドカンと祝砲をあげるような派手な役どころが多かった。だから静の中に動がある、岩谷さんのような役はこれまで演じたことがありませんでした。でもお話をいただいたときに、すごい“予感"を感じて。そしてまだ台本もないうちに、「この役、絶対やる」と決断していました。

 岩谷時子さんは「愛の讃歌」などのヒット曲の作詞家であり、越路吹雪さんのマネジャーとして彼女を生涯支え続けた人。初演のとき顔合わせで岩谷先生ご本人にお会いしたんですが、その瞬間「失敗したな、これはダメだ」と思っちゃった。だって目の前の先生は生きた観音様のような上品な方で、握手した手は小さくて…。私はその3倍くらいあるグローブのような手(笑)。正直言って「この方の役はできないかもしれない」と思いましたね。

 そんな恐怖心はあったんですが、それからは岩谷先生が足しげく稽古場にいらしてくれたんです。「あなたに魂を入れるの」とおっしゃって。周囲からは「本人が来ると演じにくいでしょ」と言われたけれど、先生がいらっしゃると役が自分に浸透していくのが分かる。本番も先生がみえたときの方がそうでないときより100倍くらい出来がいい。魂が乗り移る感じですね。「普通は逆。本人が来て出来がいいのはアンタくらい」なんて言われましたけど(笑)。

 私、これまでいろんな役をやりましたが、1番不思議で面白い役ですよ。とにかく岩谷先生が面白いの。越路さんと岩谷先生は2人で1人。でも先生は裏方の意識もなかった。本当に不思議な関係。演じるにあたって、先生から7時間かけて越路さんとの思い出話を伺いました。私、ずうずうしくも「先生は越路さんのマネジメント料をもらったことがないと聞きましたが本当ですか?」と聞きました。すると先生は「それはもらわないわよ。あげることはあってもね」と。こんな方がいらっしゃるのか!と驚きましたね。越路さんのことも「あれは単なる不良よ」と言い切られて(笑)。パリで越路さんがウイスキーを何本も開けてヘベレケになった事件、「時子さん、お金なくなったから送って」とパリから電報が届いたエピソード。でも使命感とか犠牲になるとか、そんな悲壮なものはないの。岩谷先生はきっと越路さんにいい仕事をしてほしかったんでしょうね。人を支えることにたおやかに喜びを持ち、その人と歩んでいく。先生の役を演じれば演じるほど、それは素晴らしいことだと思えてくるんです。この「越路吹雪物語」の岩谷時子役は、私にとって本当に面白く印象深い役になりました。

 あるとき旅先の岩谷先生からはがきをいただきました。そこには「好きな仕事をして成長していくほど、幸せなことはない」という一文が。ああ、深くていい言葉だなあとしみじみ思いましたね。

自分が面白がればいい。転機になった舞台


 私は幼いときから退屈が嫌いな性格。保育園へは大喜びで通っていたらしいです。“何かやること"があれば楽しかったのね。父が建築家だったので、小学校も5回くらい転校。でも友だちを作るのが上手だったから平気。明るくて、とても育てやすい子だったようです。

 高校までは趣味もありませんでした。周りがグループサウンズとか学生運動とかに興味を持っていたのを見て、「私も何かやらなきゃ!」と仏像集めに走ったり(笑)。そのうち「私にしかできないことってなんだろう?」と卒業後の進路を考え始めました。歌もできない。絵も途中でやめた。仏像もちょっと飽きちゃった。ということで残った選択肢が、演劇。もともと人前に出るのが好きで目立ちたがり屋という、女優にとっていい因子はありました。「ちょっと私かわいいんじゃないの」っていう気もありましたよ(笑)。

 学校に指示されて受験したお茶の水女子・早稲田・慶應義塾・津田塾・東京女子大学はすべて合格しました。受験勉強はただただ千本ノックの丸暗記。私は「やれ」と言われたことは頑固にやりぬく性格だから。それでも「演劇学校に行きたい」と両親に話すと、母は「私も戦時中好きなことあったけどできんかった。好きなことやればええがね」と賛成してくれました。しかし、父は「待て!」と反対。いずれは四国に帰りお嫁さんになる約束で、東京の演劇学校へ行くのを許してもらいました。女優の道に進むことを最初反対した父は、以後はずっと応援してくれましたね。母の方が後でグチュグチュ文句を言い出して。「昔はどこに出しても恥ずかしくない子だったのに、今はどこに出しても恥ずかしいわ」と(笑)。

 桐朋学園短大の演劇科を卒業するとき、プロの劇団のテストを受験。ところが全部落ちて、唯一受かったのは青年座。当時西田敏行さんが売れ出す直前で、潰れかけの劇団でした。

 最初は芝居も全然ダメ。水泳をやっていたから肩幅があって着物が似合わず、着物を着るたびすごいコンプレックスに襲われました。文金高島田をつけようもんなら、すごい大女になる。「正面向くな!ちっちゃくなってろ」とか「相撲取りか米俵が歩いているみたい」とか言われて。

 そのころの私は真面目で面白みがない女優でした。「3歩しか歩くな」と言われれば絶対に3歩しか歩かない。「言われたことを絶対守っていればいい」という生来の性格が、全部あだになっていたのね。何をやってもダメで、30才でこの仕事は辞めようと思っていました。

 転機になったのは29才のとき。加藤健一さんとの2人芝居「セイムタイム・ネクストイヤー」に出演しました。1人の自己解放できない女性が1人の男性と出会ったことで解放されていくというお話。このとき加藤さんから「あっちゃんの芝居はどこも悪くないんだけど、どこも面白くない。あっちゃんが面白がることをやればいい。稽古場は遊び場。お客さんはそれを観にくるんだ」と言われました。

 このとき気が付きました。私にしかできないことをやりたいと芝居を始めたのに、自分は相変わらずやりなさいと指示されてやるようなことをしている。何のために芝居を始めたのか、と。そして「私でいいんだ」と思えるようになったんです。あの芝居で加藤さんが私を拾ってくれなかったら、私はもう四国に帰っていたでしょうね。そのとき1度結婚に失敗していたんですが、母は「今ならまだ売れる」とお見合いの口を集めて待っていたから(笑)。


青年座に入ったころ

 今は台本を読んでも、自分が好きなところを楽しんで探すようになりました。自分がピーンと感じることを、信じればいい。そして稽古場で共演者の人たちと、「こんな人いるよね」「こういうことしたかったのね」と話し合う時間が最高に楽しいんです。だから私は稽古場が好き。本番はあまり好きじゃない(笑)。

 高校のとき、なんで自分はこんなにずるくてエゴイストなのかと悩みましたが、本来人間っていろんな面があるもの。「それでいいんだ。人間は面白い生き物だな」と思えるようになれました。

2児の母として、てんてこ舞いの日々

 朝は家中の食材を集めてお弁当を作ります。子どもたちは同じオカズが2日続くともう食べないから、残り物を全部タッパーに入れてそれを朝昼晩、移動の車の中で食べています。テレビ局の仕出し弁当は飽きてしまってもう食べられない。芝居中は差し入れがあるから、そこでおいしいものをいただくのがささやかな楽しみですね。

 テレビのトークやバラエティー番組には2年前くらいから出始めました。2度の離婚歴がある私はそれまで、子どもに気を遣って私生活のことはテレビで話せなかった。でも子どもたちは「全然そんなの気にしないよ」と言ってくれて吹っ切れた。今では「隠しごとがないってこんなにラクなんだ~」と(笑)。

 どんなことがあっても四国は離れないと言っていた母は、私が長女を妊娠したとたんに「分かった。私が行く」と上京。育児や家事を引き受けてくれました。私は当時仕事が面白くなりだした時期。子どもは親が面倒見てくれるし、家に帰ればご飯もある。お酒を飲んで夜遅く帰ることも。そんな母に任せきりの生活をしていたところ、長女が1才になるころ、朝の5時くらいに母にワーッと泣かれた。「あんたは私がどんな気持ちで四国から出てきたか分かってない」と。それからは心を入れ替えましたね。

 アトピーと喘息持ちの長男が生まれてからは、育児と仕事で大変な生活に。洗濯機の前でジャージを着て、保育園に送って、そのまま稽古場へ行って、帰ってきたらジャージを洗濯機の前で脱ぐ日々。化粧もしなかったし、覚えていないくらい忙しい毎日でした。今長女は日大芸術学部に進学し、私の良き批評家ですね。小学校6年の息子は私の舞台を観にきて、大笑いしています。

舞台は人を元気にさせるお祭り空間


からゆきさん

 芝居の面白さは、何を舞台でやっているかではなく、演じる人がこれまで何をやってきたのか観る人に透けて見えるところ。その人の背景とか大切にしてきたもの、価値観とかが見えてくる。それが見えるからこそ、芝居は面白いんですね。

 人がものを作ったり集まったりするところには活気がある。けっこうその中には欠落したダメ人間も多いから、私でも平気じゃないと思えてくるし(笑)。無駄なことが無駄にならない。芝居が氷山の一角だとしたら、その無駄なことが土台になるんです。

 私の原動力は、若いときにあれだけ必要とされなかったことから来ています。喉から手が100本出るくらい仕事をしたいのに場がなかった若いころ。「どうやったら私に場がくるんだろう?」という悩み。それが今の私を支えている。

 若いころはお金がない、仕事がないとないないづくし。だから、好きな仕事をしてお金がもらえることくらい、幸せなことはないと思うんです。仕事やお金が入るようになっても、大事なものは見落としたくない。

 舞台はお祭りみたいなところ。そして観る人を元気にさせていく。私はそんな役割なのかなと思います。ううん、役割というよりも、本当は自分自身のためにやっているの。いわば、自分の精神セラピー(笑)。お芝居をやっているから、私はかろうじて自分を保てているのかもしれませんね。

(千代田区麹町にて)



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