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373号 注目の人 科学者/梅津 理恵さん

国境を超えた共同研究 研究者に必要なのは「コミュ力」
梅津 理恵/科学者
Profile

梅津 理恵/科学者
東北大学金属材料研究所教授。1970年仙台市生まれ。奈良女子大学理学部、同大学院理学研究科(修士課程)、奈良県立医科大学精神科医局(研究生)、東北大学大学院(博士課程)修了後、日本学術振興会特別研究員、東北大学助教・准教授などを経て現職。専門は金属磁性、固体物性。2014年日本金属学会第72回功績賞(物性部門)、同年日本女性科学者の会奨励賞など受賞多数。19年第39回猿橋賞受賞。仙台市在住、夫、1男2女と5人暮らし。趣味はテニス、スキーなど。



両親は愛媛出身

幼稚園のころ、母と

幼稚園のころ、母と

 私は生まれも育ちも仙台で、両親と姉と4人家族で育ちました。両親は2人とも愛媛県の出身です。父は東京理科大学を卒業後、修士、博士課程を東北大学で修了。定年まで金属素材の研究者として勤めました。父は長男だったので、いずれは生家に…という気持ちもあったのでしょうか、地元の愛媛で隣町出身の母とお見合いをして結婚、仙台で家庭を持ちました。

 母は結婚前、中学校で英語の教師をしていたので仙台に来てからも教員を続け、姉を産んだ時は仕事と子育てを頑張っていたそうです。その後、流産したこともあって、私の出産から小学校2年生になるくらいまでは仕事を中断。私たちの手が離れてからは、自宅を英会話教室にして近所の子どもたちに教えたり、外国人観光客の通訳ボランティアや短期滞在の留学生のホストファミリーになったりと、とてもアクティブでした。

子ども時代の夢はスポーツ選手

 小さい頃は家にいるより友達と外遊びする方が好きな子でした。父は当時、テニスで国体に出場するくらいのスポーツマンだったので、よく一緒にテニスやスキーに連れて行ってもらいました。小学生の頃の文集には、「スポーツ選手になりたい」と書いています。

 小学生の頃から母に「女の子も一生涯続けられるような仕事を見つけられるといいね」とよく言われました。やはり途中で仕事を辞めざるを得なかったことが残念だったのでしょう。 

 私の世代だと学習雑誌『科学』や『学習』の影響は大きかったですね。私は『科学』の付録にハマりました。ある時、付録の星座早見盤を眺めていたら、父が本格的な双眼鏡を買ってくれて。うれしくて星座や星雲を探すことに夢中になりました。

優しかった女子高の物理の先生

 中学校2年生くらいの時から、自分はどちらかといえば理数系だなということはハッキリしていました。高校に進むと、理科の中でも物理がいちばん面白かったです。

 物理の先生がすごく優しかったのです。女子は物理がすぐに嫌いになってしまうので、とてもていねいに教えてくれるのです。それでもほとんどの人は物理が嫌いになっていくんですけど(笑)。

 そして大学は奈良女子大学の理学部物理科へ。当時はAB日程というのがあって国公立2校を同じ年に受験することができました。第1希望は地元の東北大学の工学部でしたが残念ながら不合格。奈良女子大学は自分が希望する物理科でしたし、娘が家を出るにしても、四国出身の両親は関西にはなじみもあるし、親戚も多いので安心だったと思います。それで現役進学を決めました。

 最初の2年間は寮に入りました。当時は4人部屋で、学年も学部も違う人たちが相部屋で楽しかったですよ。親に内緒で250㏄のバイクの免許を取って友達と琵琶湖一周ツーリングをしたこともあります。最低でも修士課程までは行こうと思っていたので、奈良女子大学には大学院を含め6年間在籍しました。

医療の世界と母の看病

 修士課程が終わった時点で、博士課程には進まず就職するつもりだったのですごく悩みました。電気や素材系企業への就職も勧められたのですが、なぜか、あまりしっくりこなくて。「何か女性ならではの仕事があるのでは」と考えるようにもなりました。

 その頃、ちょうど精神科のクリニックを開業する先生を紹介してくださる方がいて、「違う分野の勉強をするのもいいかな」と、奈良県立医科大学の医局に研究生という形でお世話になり、そのクリニックで働きながら「臨床心理学」を勉強するという新しい生活をスタートさせました。

 ところがその頃、仙台の母に胃がんがみつかったのです。当時、父はまだ現役の研究者でしたし、姉は結婚して仙台市内に住んでいましたが、看護師の仕事をしながら2人目の子どもが生まれたばかりで大変な時期でした。それで、医療系の勉強をいったんやめて仙台に戻り、母の看護と家事に専念することにしました。

 母はその1年ほど後に他界したのですが、すると「さて、自分はこれから先どうする?」という状況になっていました。

再び研究の世界へ

 修士課程までの6年間を改めて振り返ってみると、実験や研究は楽しかったし、研究にはまだまだ先がある。やはり博士課程に進んで、研究を続けようという気持ちが固まりました。

 東北大学の先生からいくつかの研究室を紹介していただき、ある研究室の先生に直接アプローチして、編入という形で東北大学の博士課程に入りました。

 東北大学は伝統的に材料系が強くて、私の専門を活かせる研究所がいくつかあるのです。そこをうまく転々としながら(笑)、現在に至っています。

テニスで出会いゴールイン

博士号取得後の研究員のころ。研究室の後輩の卒業式。研究室の女子学生は後にも先にもこの3名だけ。中央が本人

博士号取得後の研究員のころ。研究室の後輩の卒業式。研究室の女子学生は後にも先にもこの3名だけ。中央が本人

大学院博士課程のころ。一般の社会人テニスサークルの合宿にて

大学院博士課程のころ。一般の社会人テニスサークルの合宿にて

 子どもの頃から親しんだテニスは、中高大は部活で、博士過程の時も一般の社会人サークルに入って続けていました。主人と知り合ったのもテニスがきっかけです。

 29歳で結婚、30歳で博士の学位を取得した後の5年間で2女1男の出産を経験しました。今、子どもたちは上から19、17、15歳になりました。当時は産休や育休の制度が研究員にはなかったので、休暇は研究室の先生と個別に相談してその都度決めました。

 子どもたちの活動を支える役割はできるだけ積極的に引き受けるようにしてきました。テニス部では「親の会」を立ち上げて代表をし、練習会や合宿を企画、サッカースポーツ少年団の総務代表もやりました。

 今も息子のサッカー、娘のテニスの試合があるときは必ず応援に行きます。応援に来ている親同士で話をするのもストレス解消になりますね。

ハーフメタルの研究で猿橋賞受賞

第39回猿橋賞授賞式にて(2019年5月)。出席した父、夫、姉と

第39回猿橋賞授賞式にて(2019年5月)。出席した父、夫、姉と

 昨年「ハーフメタル」の研究で猿橋賞を頂きました。受賞の連絡は会長ご本人(『女性科学者に明るい未来をの会』会長・石田瑞穂氏)から直接、電話で頂きました。

 第一報は私の不在中に自宅で主人が取り、すぐに私へ電話が入りました。「第39回なんとか賞おめでとうございますという電話だったよ。すぐに帰ってきた方がいいんじゃないか」と。猿橋賞は受賞されているのが有名な先生方ばかりで、応募はしたものの、自分には縁がないと思っていたのです。それで「まさか私が…」と思いながら帰宅すると、再度電話があり受賞を知りました。

 受賞発表後はテレビやラジオなどメディアの取材や高校や大学、市民向けの講演などが増えました。日々、賞の大きさを実感しています。

実用化に寄与する機能性材料を発掘

 ハーフメタルというのは「物質を構成している電子がある特別な状態になっている材料」とイメージしていただけるといいと思います。理論的に「AとBとCという物質を混ぜるとハーフメタルになるはず」と、今多くの人がハーフメタルを作ることに挑戦しています。

 そして「ハーフメタルをパソコンなどのデバイスの中で使えば容量が飛躍的に向上する」「省エネに寄与する」と言われていますが、そのポテンシャルはまだ十分には発揮されていません。

 私の研究は、新しい材料を作るだけではなく、電子の性質を詳しく観測して、その素材が本当に理論通りの機能を持っているのかどうかを調べ、素材の能力を引き出すことに役立てる研究です。

研究者にも求められる「コミュ力」

兵庫県のSPring-8での実験。装置(高分解能発光分光器)の前で

兵庫県のSPring-8での実験。装置(高分解能発光分光器)の前で

 その実験は兵庫県にある「スプリングエイト」という、大きな装置を使って行います。

 こうした大掛かりな実験の場合、自分と同じようにその対象を面白いと思って研究している、計測が得意な人たちを探してチームを組まないと実現できません。一人で悶々とやって出てくるような結果というのは、もうとっくの昔に答えが出ているわけですから、今の時代、それでは研究者は務まらないということですね。

 専門の垣根を越えて、世界の研究者たちと広く交流できるコミュニケーション力がこれからますます大事になってきます。

初の女性教授に

梅津 理恵さん

 今年2月1日付けで東北大学金属材料研究所の教授を拝命しました。女性が教授になるのは研究所創立以来103年の歴史において初だそうで、その意味でも責任を感じます。

 また、東北大学にも兵庫県のスプリングエイトと同じような放射光施設が4年後をめどに完成、稼働の予定です。私としては今後の研究がよりやりやすくなると思いますので、とても楽しみです。

 今、東北大学だけでなく日本の大学関係者の間でさかんに言われていることは、やはり国際性の強化です。世界的には、人種・国境を越えて共同研究をするのが普通になっています。日本ももちろん努力しているのですが、他の国はもっと頑張っているということですよね。常にそういう意識で将来を考えなければいけないなと思っています。
(東北大学金属材料研究所にて取材)


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