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359号 注目の人 元女子プロテニス選手/沢松 奈生子さん

一流の選手ほどコートでは嫌なやつ コートの外では本当に素晴らしい!
丸田 佳奈/産婦人科医・タレント
Profile

沢松 奈生子/元女子プロテニス選手
1973年兵庫県生まれ。高校在学中15歳で全日本テニス選手権優勝。大学入学と同時にプロに転向、10年間にわたり世界ランキング30位台以内を維持。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪に出場。95年の全豪オープンでは阪神・淡路大震災で実家が全壊する中、ベスト8に進出。自己最高ランキング世界14位。現在は、テニス解説・スポーツコメンテーターとして活躍。「ワールドマスターズゲームズ2021関西」組織委員会評議員。



テニスの名門一家に生まれて

7歳頃、ドイツ・デュッセルドルフのテニスクラブで、両親と弟と。一番右が本人

7歳頃、ドイツ・デュッセルドルフのテニスクラブで、両親と弟と。一番右が本人

2歳頃、西宮の自宅近くのテニスクラブで

2歳頃、西宮の自宅近くのテニスクラブで

 小さいころは、プロ選手として活躍した叔母(ウィンブルドンダブルスで優勝した吉田(旧姓沢松)和子さん)と一緒に住んでいたので、歩けるようになるとすぐ、西宮の自宅のテニスコートでボール拾いをしていたようです。両親ともテニスプレイヤーで、きょうだいは弟が1人。きっと、私も弟も、母のお腹にいるころからボールの音を聞いていたのでしょう。

 テニスには集中力が必要です。そのため、わが家では「ながら」は絶対にダメでした。音楽を聴きながらの勉強、テレビを見ながらのご飯はダメ。「ご飯を食べるときはご飯に、テレビを見るならテレビに集中しなさい」という教育でした。

 集中力というのは持って生まれたものだけでなく、ある程度は日々の生活の中で培っていくことができるのだと思います。

 5歳から10歳まで、父の転勤でドイツで暮らしていて、そこでもテニス教室に通っていました。当時の西ドイツは3つの大きな州に分かれていたのですが、私は州大会で優勝しても全国大会には出してもらえませんでした。いわゆる「大人の事情」だったのでしょう。もちろん詳しい内容は知らされていませんが、教室でただ一人のアジア人である私が、周囲からどう見られているかは、子どもながらに肌で感じていました。

 それで「絶対に負けたくない」という気持ちが身につきました。アスリートの人間形成としては、一番いいタイミングで悔しい体験をしたと思います。

 もしその5年間を日本で過ごしていたら、おそらく私は「沢松さん家のお嬢さん」でちやほやされて、悔しい思いをすることもなかったでしょう。

「続けるスイッチ」がオンに

 小学校高学年ぐらいのとき、試合で結果も出てきたころ「ちょっと話がある」と父に呼び出され「テニスというのは生半可な世界じゃない。つらいことがあっても、選手として最後までやり続けられるか?」と聞かれました。ちょうどテニスが楽しいころだったのでつい「やります!」と答えてしまいました(笑)。

 その後、勝てないときもケガで試合に出られないときも、「自分が選んだこと」と納得でき、テニスをやめたいと思ったことは一度もありません。あのとき父は、わたしの「続けるスイッチ」を押すことに成功したのです。

 ドイツから帰国後、大きな衝撃を受けたのは伊達公子さんとの対戦です。伊達さんは、同じ兵庫県のライバル校のナンバーワンで「これはただ者じゃない!」と直感しました。その後、何度も対戦しましたが、「自分が100%の力を出しても勝てないかもしれない」と思ったのをよく覚えています。

15歳で迎えた大スランプ

1988年、15歳で全日本テニス選手権優勝

1988年、15歳で全日本テニス選手権優勝

 初めての大スランプは、高校1年生(15歳)で全日本テニス選手権で優勝した直後のこと。街を歩いていても週刊誌に追いかけられ、家の前にはカメラマンが常に張っているような状況でした。それだけ注目されているのだと思うと、出る試合すべてに勝たなきゃいけない、一本のミスも許されないと、ボールを見るのも怖くなってしまいました。

 そのとき、当時のコーチから「今、思っていることをノートに書いてみなさい」とアドバイスを受け、自分の気持ちを書いて何度も読み返してみました。

 すると、ネガティブな言葉のオンパレード。調子が悪い、プレッシャーがつらい、試合に勝てないかもしれない、私は世界で一番不幸…、みたいなことばかりが書いてあります。ところが、それを何度も読んでいると、だんだん自分の状況が客観的に見えてきました。

 「私は今、自信がないだけ。自信がつけばこのスランプから脱出できるのでは?」と思えたのです。そして、1年くらいかけて自信を取り戻すための練習をして、スランプの壁を破ることができました。

 このとき大事だったのは、コーチのヒントを頼りに自分自身で答えを見つけられたこと。自力で壁を破るというのは、気持ちがいいことなのだと知りました。

 たった15歳でしたが、「スランプの壁は自力で破れる」という自信がつきました。そして、「壁を破るとただ元に戻るだけではなく、さらに成長できるんだ」ということも分かったのです。

 それからはスランプが来るたびに「よし来た、ラッキー!」と思えるようになりました。

プロ選手として世界で活躍

 大学入学と同時にプロ申請をすると、すぐに叔母に呼び出され、「プロとしての目標は何?」と聞かれました。そこで、「グランドスラムでベスト8、世界トップ10入りです」と答えましたが、実はとっさに口にした目標でした。

 でもそのとき、プロとしての覚悟が決まりました。もしこのときに叔母に目標を公言していなかったら、私はおそらく「のほほんプロ」になっていたと思います。父といい叔母といい、要所要所で役者が登場してくれる家に感謝です。

 現役時代、同時期に活躍した選手にモニカ・セレシュさんがいます。テニスでは「相手の嫌がること」をしたほうが勝ち。彼女も、コートでは本当に嫌なやつで憎らしいぐらいに強くて、私は一回も勝てませんでした。

 1995年の全豪オープン期間中に、阪神・淡路大震災が起き、実家が全壊しました。皆、私や日本のことをとても心配してくれましたが、そのとき「チャリティーオークションを開いて売上金を被災地に届けたい」と最初に言ってくれたのが、セレシュさんでした。世界のトップ選手はそういう動きが本当に早いのです。一流選手ほどコートでは嫌なやつ(笑)。でも、一歩コートから外に出ると本当に素晴らしい人ばかりです。

 テニスの試合はボールを追って見るのも楽しいですが、テレビ観戦の場合、選手が2人映っているタテ画面の、上下どちらか半分を隠して見ると面白いですよ。選手たちが打った後いかにすばやく動いているか、相手の打球をどこに返そうとしているか、どこで受けようとしているかが見えてきます。

家庭優先で仕事もがんばる

2018年、RSK全国選抜ジュニアテニス大会決勝中継(隣は山陽放送・川崎祐一アナ)

2018年、RSK全国選抜ジュニアテニス大会決勝中継(隣は山陽放送・川崎祐一アナ)

 主人は、生まれがブラジル、パリ経由で3歳から大学卒業までロンドンで育ったという少し変わった経歴を持つ日本人です。今は、日本でマーケティングの会社を経営しています。

 初対面は2004年の4月。両親の勧めでのお見合いでした。一緒に食事をして話をしている間、何ひとつ居心地の悪いことがない人で、「一生、一緒に生きていけるというのはこういうことなのかな?」と感じました。

 2回目が現地取材で訪れた6月のウィンブルドン、その次が9月の全米オープンの時。当時ニューヨークに住んでいた主人と、現地で会っていました。その翌年の4月には結婚。それまでに実際に会ったのは、わずか3回でした。

 現在は、主人と小学生の娘と2歳になるトイプードルのモカ(メス)と東京暮らしです。私は生き物が苦手で触ることすらできなかったのですが、娘に懇願されて飼うことになったら、もうめちゃくちゃかわいくて(笑)。まさか自分でもこんなことになるとは思いませんでした。

 仕事とプライベートはあくまでも家庭優先のスタンスです。娘には朝の「いってらっしゃい」、夕方の「おかえり」、どちらかは必ずできるようにスケジューリングするようにしますし、主人にはお弁当を手作りしています。たいしたことはできませんが、できる範囲でがんばっているつもりです。

娘のひと言がきっかけで

TBSのテニス番組、収録の合間に娘と

TBSのテニス番組、収録の合間に娘と

 昨年、テレビドラマにゲスト出演させていただきました。ドラマなんて別世界の話で、お受けする自信がなかったのですが、娘に「お母さんはいつも私に“失敗を恐れないでチャレンジしなさい”と言うのに、どうしてやらないの?」と言われ、清水の舞台から飛び降りるつもりでお受けしました。

 現場で感じたのは、本番前の役者さんたちは、試合直前の選手と同じ表情だということ。撮影の本番に入っていくときの緊張感は、名前を呼ばれてコートに入っていく選手とまったく同じ。トッププレイヤーの方々のすごさを間近で感じた、貴重な経験になりました。

オリンピックとおにぎり

沢松 奈生子さん

 私はオリンピックに2度出場しましたが、一番印象に残っているのは、アトランタで現地ボランティアの男の子が差し入れてくれた「おにぎり」です。

 巨大なソフトボールのようなサイズで、具なし、しかもお米の芯が残っていました(笑)。でも、その「気持ち」がうれしくて。

 今は、他人が作ったものを選手が口にするというのは難しくなりましたが、オリンピックの素晴らしさは、そういう人との交流にあるように思います。

 来年は東京だけでなく、事前のキャンプや練習で日本全国に選手や関係者が訪れると思います。観光に行くこともあるかもしれません。自国開催のオリンピックなんて一生に1回あるかないかの大チャンスですよ。見に行くだけでもボランティアでも、どんな形でもいいから参加しましょう!
(東京都六本木の国際文化会館にて取材)


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