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372号 注目の人 女優/水野 久美さん

毎日プラス思考で明るく最後まで 女優の仕事をやり切りたい
水野 久美/女優
Profile

水野 久美/女優
1937年新潟県三条市生まれ。高校卒業後、劇団俳優座養成所に7期生として入所。57年、松竹映画『気違い部落』でデビュー。東宝特撮シリーズ『マタンゴ』(63)、『怪獣大戦争』(65)などが近年国内外のファンの間で人気再燃中。著書に自伝『女優 水野久美 怪獣・アクション・メロドラマの妖星』(2012年洋泉社)がある。近年の出演作は映画『ケアニン』(17)『くらやみ祭の小川さん』(19)テレビドラマ『西郷どん』(18)『やすらぎの刻〜道』(19〜20)など。17年、第72回毎日映画コンクールで田中絹代賞受賞。



生家は花街の写真館

1歳くらい。父が撮影

1歳くらい。父が撮影

 私は新潟県の燕三条の写真館の娘に生まれました。住まいと一体の写真館は3階建てで、祖父母、両親に私と兄。父のお弟子さんが2、3人、一緒に住んでいました。

 私は1月1日生まれ。当時は元日にたくさんお客さまが写真を撮りに来るので、写真館はとても忙しいのです。それで母が階段から転落、お腹から飛び出して生まれたのが私です。まだ7カ月半、片手に乗るくらいの大きさだったそうです。

 当時のことですから、もちろん保育器もありません。炭火で温め、注射を打ってようやく産声をあげたそうです。あまりに小さかったので、皆助からないと思ったようでしたが、きっと神様が生かしてくださったのだと思います。

 家の2階の窓からは、「三条座」という芝居小屋がよく見えました。東京から来た歌舞伎の公演や、美空ひばりちゃんや江利チエミちゃんの舞台を小さい頃から見て憧れていて、私もこんな舞台に立ちたいと思うようになったのだと思います。

 うちは父親がお金があってもバンバン使ってしまう派手な遊び人。演劇も好きで仲間と三条座で時代劇をやったりしていました。だからうちは年中お金がなくて、母はよく質屋に着物を持って行っていました。決して裕福な家庭ではなかったのです。

ごっこ遊びで演じた「エンマ大王」

 写真館が花街のど真ん中にありましたから、芸者さんたちを日常的に目にして育ちました。とってもきれいな芸者さんが2人いて、彼女たちが写真を撮りに来るのです。その様子に見とれて、「私も大きくなったら絶対に芸者さんになる」と思っていました。まさか父親がそこに遊びに行っているなんて、知りませんでしたから(笑)。 

 小さい頃、私たち子どもを集めてお芝居ごっこをさせてくれた叔母がいました。いつも私の役は、「エンマ大王」。設定は死後の世界で、そこへやってくる子どもたちに向かって「お前は人の物を盗んで食べたな。じゃあナントカの刑だ!」「血の海地獄へ行け!」と、好きなことを言う役(笑)。小学校低学年のころからこんな遊びをしていたせいか、学芸会をやるときはなぜか、主役を演じていました。

 その一方で、クラスの子たちとワイワイするよりも一人が好きな子でもありました。

 新潟は雪がものすごく降りますが、その中に一人で立っているのが好きでした。しーんとした雪景色の中で、じっと立っていると気持ちが良くて、ちっとも怖くないのです。遅くまで帰らずに、よく叱られました。そこに何か、自分の世界があったのでしょうね。

俳優座に一発合格

高校3年生の頃

高校3年生の頃

養成所に入所した頃

養成所に入所した頃

 高校では演劇部に所属しました。進路を決める時、私が通った女子校と交流のあった地元男子校のOBの方の中に、ある有名な映画監督のお弟子さんがいたので相談してみたところ、俳優座の受験を進めてくださって。

 それで1人で上京して俳優座を受験。一発で合格できたのは、面接で度胸の良さが買われたおかげではないでしょうか。だって、筆記試験は全然ダメでしたから(笑)。

 たまたま高校時代に「ミス・ジュニアそれいゆ」に選ばれていたので、中原淳一先生が紹介してくださった雑誌モデルのアルバイトをしながら養成所に通いました。

松竹映画デビュー時、20歳の頃

松竹映画デビュー時、20歳の頃

 映画デビューは養成所2年生の20歳の時でした。新人ということで監督に厳しくしごかれ、1人、部屋に帰って泣いたこともありました。

 それでも続けられたのは、自分にどこか楽天的なところがあったからだと思います。「つらいこともきっと自分のためになる経験。自分さえしっかりしていれば大丈夫」と、常にプラス思考でした。とにかく芝居が好きだから、女優を辞めたいとか新潟に帰りたいとか、ネガティブなことは一切、思いませんでしたね。

 私には生まれた時から「何かに守られている」という感覚があって、それで今日まで来られたのではないかと、最近つくづくそう思います。

アクション作品の人気が国内外で再燃!

『怪獣大戦争』X星の女スパイ

『怪獣大戦争』X星の女スパイ

 東宝時代は怪獣モノや『マタンゴ』などアクション映画をたくさんやりました。最初はイヤだったけれどやっていくうちに楽しくなって。今思えばあの時にやっておいて良かったと思います。今、宇宙人をやれと言われてもできないもの(笑)。

 昨今、当時のアクション映画が話題になっているらしく、海外からもイベント出演のお誘いをいただきます。でも、ありがたいけれどお断りし続けています。今さら、という気持ちもありますが、私、本当に飛行機が苦手なので(笑)。どうしても乗らなきゃいけない時にはすぐ薬を飲んで寝てしまうくらいで、とても長時間飛行機に乗るのはムリですと(笑)。

 その後、女優としてのターニングポイントになった作品に『わが母は聖母なりき』というドラマがありました。離縁された婚家から息子を連れ出し、女手一つで育てあげた、実在の女性の生涯を描いた作品です。それまで演じたことのない汚れ役を体当たりで演じました。苦しかったけれど、女優としての私を目覚めさせてくれた作品でした。

夫と姑の闘病生活を支えて

 最初の結婚は俳優座の同期生・山本學さん。大恋愛の末の結婚でしたが、わずか1年4カ月で離婚、その後、36歳で再婚。周囲は最初から「この人と結婚したら苦労するよ」と言いましたが、私は子どもも欲しかったし、もういい歳だったから、「じゃあ、苦労してみようか」なんて思って。

 そうしたら、まあ本当に苦労したこと(笑)!夫はふだんはとても優しい人なのですが、お酒を飲むと豹変(ひょうへん)するタイプ。それに加えて彼のお母さんが厳しい姑(しゅうと)さんで(笑)。

 61歳の時、夫の食道がんが見つかりました。手術は成功したのですが、すでに全身に転移していて余命いくばくもない状態でした。当時はまだまだ本人に告知しない時代でしたから、病院では「治ってよかったね」と女優の演技を貫き、ボロボロ泣きながら車を運転して帰ってきました。

 夫の闘病と並行して入退院を繰り返していた姑も1年後に他界。当時は仕事をしながら2人の看病で、大変でした。

認知症役を演じる

15年ほど前

15年ほど前

 4年前から息子一家と同居しています。私としてはずっと1人暮らしを続けたかったのですが、お手伝いさんが認知症になってしまったのです。

 彼女は私と同い年で40年以上一緒に暮らしてきた家族同然の人。私は(認知症の)初めからずっと見ていましたから、「もし私に認知症の役が来ても演じられるわね」なんて思っていたら、『ケアニン』『くらやみ祭の小川さん』と、本当に2本立て続けにオファーが来てビックリ(笑)。彼女は今、青森の実家近くの施設に入っていて時々電話で話をします。

「ばあばは相棒」

 今、息子夫婦には12歳になる小6の男の子がいます。この孫が、私にとってもよくなついてね。と言っても、ベタベタしない関係なのです。彼いわく、「ばあばは僕の相棒」なのですって(笑)。お嫁さんには、「私を実の母だと思って、遠慮せずに何でも言ってね」と最初に言ってあります。

 皆とってもいい子たちで3世代同居は円満。でも、生き方も育った環境も違うのだから、それはやっぱりお互いに努力しているからだと思います。

女優をやり切りたい

水野 久美さん

 今度は認知症ではない、元気で個性的なおばあちゃんの役をやりたいですね。今は若い人がメイクしておばあちゃんの役をやるんですよ。本当のおばあちゃんになると、セリフが覚えられなくなっちゃうから(笑)。

 今年3月まで放送された『やすらぎの刻〜道』の現場は楽しかったですよ。ベテラン俳優は皆、心境が似ているから、すごく話しやすくて。ただ、芝居になると皆、「自分はNGを出さない」という意地がある。本番ぎりぎりまで台本を読んでいる人、イヤホンで音楽を聞いている人、それぞれのやり方で集中してセリフを入れて、プロとして一発OKを目指しているのがよくわかりました。

 今、何が楽しいかと言ったら、仕事がいちばん楽しいですね。花は、最後まで「咲き切る」じゃないですか。私は、女優という仕事を最後まで、納得いくまでやり切りたいの。1つの作品、1つの舞台をやり切ったら、それはそれで終わり。そして、また明日の芝居を新たにやり切りたい。今、終わったことを引きずらない。過去を振り返ったって何もいいことはないですからね。

 あと何年かは分からないけれど、私は先のことしか見ていないですよ。もちろん、明るい未来だけ(笑)。希望を持って、毎日プラス思考でいると、すごく楽で、生きやすくなりますよ!
(東京都の国際文化会館にて取材)


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