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369号 注目の人 女優/田中 美佐子さん

隠岐から東京へ… …女優になる
田中 美佐子/女優
Profile

田中 美佐子/女優
1959年、島根県隠岐郡生まれ。81年、緑山私塾一期生として入塾。同年、ドラマ『想い出づくり』でデビュー。82年、『ダイアモンドは傷つかない』で映画初出演にして初主演を果たし、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。主な主演ドラマに『眠れない夜をかぞえて』(92)、『Age,35 恋しくて』(96)、『ランデヴー』(98)、『OUT〜妻たちの犯罪〜』(99)、『ブラザー☆ビート』(05)など。近年も『きのう何食べた?』『それぞれの断崖』(ともに2019)などに出演。バラエティー番組の企画で釣りの腕前も披露している。



女優への道は運命づけられていた?

3歳の頃 隠岐の島自宅の玄関前

3歳の頃 隠岐の島自宅の玄関前

小学校2年生頃

小学校2年生頃

 私は島根県の隠岐の島で生まれて育ちました。

 海に囲まれた島での遊びといえば「釣り」です。たとえば、母に「今夜、アジフライを食べたかったら、みんなで釣っていらっしゃい!」と言われると、きょうだい4人(私は末っ子です)で桟橋へ。夕方になるとアジの群れがくることは子どもでも知っているので、バケツにいっぱい釣って帰るなんて朝飯前でした。

 岩場から海に潜って、大きなアワビを取ることも。父が休みの日は、船でよく釣りに連れて行ってくれました。のちに上京して、「アジやイワシは買うものだ」と知ったときはショックでしたね(笑)。

 島での生活はテレビとの接点もなかったので、女優という職業とは一番縁遠いところにいたと思います。そうなりたいと憧れたこともありません。ところが、なぜか物心ついた頃から、「私は表現者として“あっち側の人間”になる」という不思議な予感があったのです。「もしも島から出ることがあれば、自分の将来はそれ一つしかないのだろう」と、誰にも言わず覚悟していました。

 その一方で、家族や友達がいる隠岐が大好きで、一生この島から出たくないと思っていました。

自分の意思に反して東京に引き寄せられた

 しかし、私が中学3年生になるとき、地方公務員だった父の転勤が決まり、家族で同じ島根県の松江に引っ越すことに。自分の運命が動き出したようで、島を出るのはものすごく嫌でした。「でも、まさか松江で女優になることはないだろう」とも思えて、高校卒業まではごく普通の暮らしをしていました。

 ところが、卒業後の進路を決めるにあたり、「短大までは行かせてあげよう。ただし、兄2人がいる東京以外はだめ」と親に言われ、「いよいよ、そのときがきてしまった。やはり将来は定められていたんだ」と確信。それが自分にとって大きな分岐点になりました。

「お前は、性格的に女優に向いてない」

 上京したものの、「女優になるにはどうしたらいいのか」右も左もわからないとき、短大2年生、19歳で応募したのが『劇団ひまわり』です。地方から出てきた身としては、どこかに入ればデビューできるという感覚でした。

 それから、TBSが新しく立ち上げた『緑山私塾』への移籍が(劇団と私塾との話し合いで)決まり、『緑山私塾』一期生としてドラマの芝居の勉強をすることに。いろいろな劇団、事務所から集められた一期生の中から男女1人ずつをデビューさせるという話でした。

 自分以外はみなさんベテランで、芝居のうまい方ばかり。「私、どこにきちゃったんだろう?」と思っていたのですが、3カ月後にはその1枠に選ばれ、21歳のとき『想い出づくり』で女優デビュー。あっという間のできごとでした。

 ただ、華やかな表舞台とは裏腹に、心の迷いが消えることはありませんでした。当時は人見知りも激しく、共演者やスタッフとも話せずにスタジオの隅にいて、「自分の人生、これでよかったのか?」「何のためにここにいるのか?」…と悩む日々でした。

 そんな私を見て、あるときプロデューサーさんから「お前は性格的に女優に向いていない」「芸能界は無理だよ。早く女優をやめて田舎に帰りなさい」と言われてしまったのです。

 その後も、局でお会いするたびに「まだ帰ってなかったの?」と言われ、考え込みました。「私、そんなに向いてないの? でも、ここでやめて本当にいいの?」と。そこからとことん自分と向き合うようになりました。

自分にしかできない芝居をする以外、生きる道はない!

『ダイアモンドは傷つかない』藤田敏八監督と後姿の山崎努さん

『ダイアモンドは傷つかない』藤田敏八監督と後姿の山崎努さん

 まず考えたのは、「自分はどういう部類の女優か」ということでした。私は派手なタイプでも、個性派でもなく、芯の強さのある芝居もできない。とはいえ、かわいいだけが取りえでもない。じゃあ、自分はどこへ行けばいいんだろうと。

 結局、「どこにも属さない、田中美佐子でいこう」というところにたどり着きました。だったら、自分にしか表現できない芝居をする以外、生きる道はありません。20代前半で、そうやって自分の立ち位置を意識したことで、同世代のライバルが大勢いても、心折れて田舎に帰らずに済んだのだと思います。

 ところが、無我夢中の何年間かが過ぎて、今度は「お前は、3番手、4番手として息の長い女優になれるかもしれないが、主役は取れない」と言われ、再び自分と向き合うことになりました。

 「そうか、一生女優はやっていけるのか。でも、それで自分は満足できるのかな?」「いや、そうじゃない。1本でも主役をやりたい!」と目標を定め、「次はもう少しいい役で使ってもらえる女優になろう」と、これまで以上に自分に厳しく、寝る間も惜しんでどん欲に仕事をするようになったのです。

 『眠れない夜をかぞえて』でテレビドラマで主役をいただいたのは32歳。うれしかったと同時に、ホッとしましたね。ここまでくる道のりは決して楽ではなかったけれど、精神的に自立することが何より大切だったと、あらためて感じました。

 特に芸能界は、自分をしっかり持っていないと、「自分らしく表現する」ことが難しい世界です。コンプレックスも含めて、何があっても逃げずに受けとめ、自分を知った人が勝ちかなと思います。

必死過ぎて「共演NG女優」に

24歳。兄2人とディズニーランドへ

24歳。兄2人とディズニーランドへ

 20代半ばで、萩本欽一さんの元マネージャーと2人で会社を立ち上げたこともあり(現在は個人事務所を設立)、小さい事務所だからこそ「どうやったら仕事をもらえるか」と考え、とにかく生きていくことに必死で、今、振り返ると、周囲に対して尖っていたところもありました。

 もともと曲がったことが嫌いな性格も手伝って、「私はつねに死ぬ気でがんばっているのに、なぜあなたたちスタッフは、『また次がある』という甘い考えで妥協するの?」という感覚があったのもたしかです。今なら何でも許せてしまうのですけどね(笑)。それで、当時は「田中美佐子は怖い」という噂が流れて、私より若い女優さんから「共演NG」と言われたことがあります。

 ただ、実際の現場では、ワイワイ楽しくやるタイプで、「うるさい! 静かにしろ!」とよく怒られていました。特に同世代の俳優さんたちとは、本気のいたずらを仕掛けあいました。控室の扉をガムテープで閉じて出られなくしたり、スリッパを両面テープで床にくっつけておいて、「どうぞ」と履かせて転ばせたり(笑)。

 かたや、女優さんには年齢が近くても、先輩、後輩の厳しい関係があり、それを知らずに贈り物を断られるなど、痛い目にあったこともあります。

 田舎で生まれ育って、私には常識がないのかもしれませんが、どこまで気遣えばいいのか…それは今も分かりません。でも、自分がされて困ったことは、後輩にはするまいと、何かいただきものをしたら素直に喜んだり、いいところを見つけてほめたりしています。

女優は40歳まで。今は真剣なバイト!?

釣りに凝っていた30代

釣りに凝っていた30代

 私が20代の頃、「女優は28歳でおばさん、40歳過ぎたら終わり」という声をよく聞いていたせいか、自分の中でも「女優は40歳までだ」と思っていました。

 30代はおかげさまでたくさんのドラマで主役をやらせていただき、40歳で『OUT〜妻たちの犯罪〜』に出演して、そこでいったん女優業を休憩させてもらいました。実は、それまでのハードな仕事のやり方がたたって、体調を崩してしまったことが本当の理由ですが、ここで休まないと逆にみなさんに迷惑をかけてしまうと思い、休養を取ることにしたのです。

 ところが、2年休んでやっと体調が戻り、「再開してもいいかな」と思った矢先に、子どもを授かって。すっかりあきらめていたので、本当にびっくりでした。

 43歳で娘を産んでからは、自然と子育てが本業になり、女優はバイトに(笑)。ただ、子育てをするためにも、お話を受けたからには必死でやりますというスタンスです。今は娘も高校生になりましたが、いまだに駅まで送り迎えしないと気がすまない。娘には「小学生じゃないんだから」と言われます。

信じる家族がいれば何でもできる

田中 美佐子さん
1月、お友達との還暦祝いにて

1月、お友達との還暦祝いにて

 20代、30代は、撮影をしながら「今日の演技に点数をつけてほしい。だったらもっと毎日が楽しいのに」と思っていました。その気持ちを引きずって、50歳を過ぎてから、点数で勝ち負けが決まるテニスを始めたくらい。でも、自分よりうまい人はいくらでもいて、ものすごくがんばっても点数が取れないジレンマを覚えてからは、「女優は点数がなくていいな」と思えるようになりました。

 今、自分ができることを精一杯やって、私を好きで信じてくれる人が「よかったよ」と言ってくれればそれでいい。私にとってはそれが家族であり、その軸がぶれなければ何でもできると思っています。

 先日も自宅の居間で怖い映画を見ていたのですが、娘は真剣に、夫(Take2の深沢邦之さん)は怖いシーンがあると大声を出して、私は怖いところは目をそらしながら洗濯物を畳み、3人で1つの部屋にいて。そんな何気ない日常が一番幸せですね。
(東京都港区の国際文化会館にて取材)


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