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363号 注目の人 女優・歌手/水谷 八重子さん

母は新派の女優、初代水谷八重子 父は歌舞伎役者、2人の娘に生まれ
水谷 八重子/女優・歌手
Profile

水谷 八重子/女優・歌手
父は14代目守田勘弥、母は初代 水谷八重子。1955年、16歳で新派・歌舞伎座で初舞台。同月、ジャズ歌手としてデビュー。以後、映画『青い山脈』、『続・座頭市物語』、『悪名』などに出演。『花の吉原百人斬り』でNHK最優秀助演女優賞を受賞。95年、2代目水谷八重子を襲名。文筆にもその才能を生かし、『暮しの手帖』に連載のエッセイは2000年、01年、02年と続けてベストエッセイ集に選ばれる。01年紫綬褒章、09年旭日小綬章を受賞。



3人の「母」に育てられた幼少時代

お宮参り。母の初代 水谷八重子と

お宮参り。母の初代 水谷八重子と

 私には実の母、初代水谷八重子のほかに、もう2人の「母」がおりました。それは、母の一番上の姉、私にとって伯母にあたる勢舞(せん)と、青森生まれの乳母、シゲです。伯母のせんは明治の教育をしっかり受けた女性でしたので、私は、その教育とシゲのお乳で大きくなりました。

 母の生家、松野家には跡取りとなるべき男子が3人いたのですが、1歳で2人、19歳で1人が亡くなり、一番上の長女(伯母・せん)と末っ子の母の姉妹だけが残りました。2人は男子3人をはさんで20歳年が離れていたので、母が2歳くらいのときに、長姉のせんはすでに嫁いでいました。

 後に初代水谷八重子となった母が結婚したのは、歌舞伎役者(14代目守田勘彌)でした。お相手は歌舞伎のお家、お婿さんに来てもらうわけにもいきません。だから、母が嫁いでしまうと松野家には跡取りがいなくなってしまうのです。

 そのため、2人が結婚するとき「生まれた子には男でも女でも松野姓を名乗らせること」という約束をしたようです。今と違って跡取りが大事な時代、私が松野の籍に入ることは、私が生まれる前からの約束だったのです。青山の産院で出産した母は父の家へ、私は松野家へと、別々に退院していきました。

 幼いころは、定期的に両親が住む家を訪ねて一緒に過ごしました。父は子煩悩な人で、晩酌する父のあぐらに入って、ちょこんと座っていたのを覚えています。

母・初代水谷八重子の初舞台

 母の長姉である伯母・せんが嫁いだのは劇作家の水谷竹紫(みずたにちくし)という人でした。

 ちょうどそのころ、松野家ではせんの父が亡くなり、働き手を失ったせんの母は幼い末っ子の八重子を連れて、水谷家に身を寄せることになりました。母の本名は「松野八重子」ですが、このとき水谷家に引き取られたことで、後に「水谷八重子」を名乗ることになったのです。

 竹紫は当時、小説家として知られた坪内逍遥が尽力した、演劇の近代化運動に携わっていました。その関係で、母は11歳のとき、松井須磨子さん演じる『アンナ・カレーニナ』の舞台で、セルジーという男の子の役に抜擢されました。それがとってもかわいいので、アンナが遊ぶセルジーをじっと見守る、という場面が書き加えられたそうです。

 竹紫はそれをとても喜んで、「八重子の初舞台の記念に」と、お仲間だった竹久夢二さんに絵を描いていただいた手ぬぐいをごあいさつに配ったそうです。旧体制に反旗を翻して生まれた新派なのに、歌舞伎風にお祝いしたというのが微笑ましいですよね(笑)。

疎開先で知った大家族の暮らし

 私が初めて両親と一緒に暮らしたのは、戦争がひどくなって疎開した熱海の山の中でした。両親と一緒に暮らすという、ごく普通の家庭の暮らしがあったのは、そのときだけでした。皮肉にも、悲惨な戦争が、家族の暮らしとはどういうものかを教えてくれたのです。一生で一番充実した時期でした。

 終戦は6歳の夏でした。母はこのころ、引退を考えていたようでしたが、松竹の社長さんに促されたこともあり舞台に復帰。その後、正式に離婚して、私は母に引き取られました。

ドリス・デイに憧れて

 私が歌と出合ったきっかけも母でした。当時、家のお隣が「歌のおばさん」で有名だった声楽家、松田トシさんのお宅でした。それで「学校から帰ってきたら歌のお稽古に行きなさい」と言われて、レッスンに通うようになりました。

 母は、自分の目の届くところに娘を置いておきたかったのでしょう。でも、仕事があるので普通の母親のようにはいかない。それで、先生のお宅に通わせたのでしょう。

 そのうちに、ドリス・デイの『ティー・フォー・トゥー(二人でお茶を)』という映画が日本で公開されました。映画でその歌声を聞いた時、「私はこういうふうに歌いたいんだ!」と、はっきり思いました。ちょっとハスキーなかわいい声。

 すると同時に、なぜか全然声が出なくなってしまったのです。それまでは高い声で歌えていたのに、ガサガサ声になってしまって。心配した母に連れられて病院へ行くと、「変声期」という診断でした。

 ちょうどそのころ、松田先生の生徒さんたちがヤマハホールに集まる「松の実子ども発表会」がありました。私はイタリア歌曲の「帰れソレントへ」を歌うことになっていたのですが、急きょ、先生のピアノ伴奏でジャズの「ティー・フォー・トゥー」を歌うことに。それが、私が人前で初めて歌った曲です。先生からも「その声じゃカンツォーネやクラシックを歌うのは無理ね」と言われてやめることに。

 すると、またどこかに通わせなきゃいけないということで、今度はお友達の笠置シヅ子さんを通じて服部良一先生を紹介していただいたのです。

 それ以来、レッスンはもちろん、歌手デビューやその後の活動を含めて、服部先生には長くお世話になりました。

16歳で歌手と俳優 同時にデビュー

ジャズ歌手デビューのころ。「真夜中の恋のムード」ジャケット写真

ジャズ歌手デビューのころ。「真夜中の恋のムード」ジャケット写真

2代目水谷八重子襲名披露口上

2代目水谷八重子襲名披露口上

 歌手と俳優、同時デビューとなったのは高校在学中の16歳のときでした。まだティーンエイジャーですから、きれいなお洋服を着てスポットライトを浴びて歌えるのは、素直にうれしかったですね。

 若いころは新派の舞台だけでなく、1日に2つ、3つと仕事を掛け持ちしながらミュージカルや歌、テレビ、映画と何でもやりましたが、最近のコンサートやライブは自分の歌いたいものを中心に構成しています。

 1995年に、母の後を継いで2代目水谷八重子を襲名しました。母の後半生は、がんと闘いながら舞台に立ち続ける日々でしたが、弱音を聞いたことはありません。やはり、明治の女性はすごいと思いました。

 襲名披露で浅草の浅草寺でお練りをしたとき、歌舞伎座からも詳しい方が大勢来て、いろいろ教えていただきました。劇団新派の仲間やプロデューサーのみならず、多くの方々に支えられて舞台に立っているのだということを、改めて実感しました。

健康の秘訣は自然体で過ごすこと

競走馬オーナーでもある。新馬戦勝利記念

競走馬オーナーでもある。新馬戦勝利記念

ライブ風景

ライブ風景

 長く舞台やコンサートを続けるには体調管理が欠かせません。でも私、特別なことは何もしていません。

 昔は公演のある1日から25日までがひと月でした。そうすると、25日まではどんなことがあっても病気をしないのです。26日にどっときたりすることもありますが(笑)。特に気を張っているという自覚はないのですが、もう習慣として、体がそうなっているのでしょうね。スランプやストレスを感じるときは何もしないこと。心身がエンストを起こしている状態ですから、できるだけ休ませてあげるようにしています。

 それから「時間だから食事しなきゃ」という食べ方はしないように心がけています。習慣だからといって漠然と食べるのではなく、今は食べたくないなと感じたら食べないことにしています。

 あとは「頭」で食べないこと。今の方って割と頭で食べるでしょう。今日は糖質が多かった、タンパク質は足りているかしら、とか。私にはそういう感覚はなく、その時々で食べたいもの、体が欲しているものを食べるようにしています。自分の食べ方を知ることも、健康のバロメーターになりますよ。

立ち稽古が教えてくれる日本人の暮らし

水谷 八重子さん

 私は「日本転倒予防学会」の名誉会員を拝名しています。「寝たきりや車いすの人をできるだけつくらないためには転倒を防ぐことが大事」というのが学会の趣旨で、日常生活で手、足、体、頭を使うことの大切さを、先生方が全国各地で講演なさっています。

 その講演のゲストに選んでいただいたことがあったのですが、お話しだけでなく会場の人たちも一緒になって、実際に頭や手、足を使うような内容でした。その講演があんまり素敵だったのでそうお伝えしましたら、その場で名誉会員ということに。

 先生がおっしゃるには、「日本人が昔ながらの生活をしていたら、スポーツジムはいらない」と。朝起きて、布団をたたんで持ち上げて押し入れに入れる。玄関の上がり框(がまち)で片足立ちになって靴を脱ぐ。拭き掃除をする…。確かにそうかもしれません。

 私自身も普段は椅子で生活をしていますが、舞台の立ち稽古に入ると畳の暮らしになります。座布団に座って、お茶を飲んで立ち上がる。舞台ですからきれいにスッと立たなければいけません。下駄を履いて歩き、格子戸を開けて帰る。稽古でそんな所作を何度か繰り返すだけで、家に帰ると筋肉痛になります(笑)。いかに自分が常日ごろ「日本人」をしていないか、先生のおっしゃったことを実感しました。

 9月には山田洋次先生の現代喜劇、新派公演『家族はつらいよ』に出演します。舞台はあくまでも山田先生が描く世界。私たち俳優はそのひとつの駒ですから、やはり「鋭い駒」でありたいと思います。演出がどのようになるかまだ分かりませんが、どのように変わっても、ついていきたいと思っています。
(東京都六本木の国際文化会館にて取材)


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