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376号 注目の人 将棋・女流七段/清水 市代さん

「化粧するな、恋愛するな、金は稼ぐな」 厳しい修行を経て、史上初の女流七段へ
清水 市代/将棋・女流七段
Profile

清水 市代/将棋・女流七段
1969年生まれ、東京都出身。(故)高柳敏夫名誉九段門下。クイーン名人・クイーン王位・クイーン王将・クイーン倉敷藤花の永世称号を保持する。タイトル戦登場数は71回、獲得は女流名人10期、女流王位14期、女流王将9期、倉敷藤花10期の合計43期。2020年、これまでの類まれなる成績が認められ、史上初の女流七段に昇段。現役女流棋士でありながら、現在、日本将棋連盟常務理事も務め、二足のわらじで将棋界に貢献している。



じっとしているのが苦手な少女時代

3歳の頃。七五三のお参り前

3歳の頃。七五三のお参り前

 小さい頃は、家の中にいるより外で飛び跳ね、走り回っているのが好きな子どもでした。3歳の七五三のときは、お参りから帰るとさっさと着物を脱ぎ、美容院で結ってもらったセット髪のまま、一目散にジャングルジムに向かったそうです。

 一人っ子のせいか、1人で遊ぶことも得意で、好奇心が旺盛。アリの行列を見つけると、「なぜきれいに整列しているんだろう?」と、30分でも1時間でもずっと飽きずに眺めていました。

 小学5年生になってもおてんばぶりは変わらず、男の子にまじって公園のゲートにぶら下がり、一番遠くまで飛んだ人が勝ちというゲームをしていたとき、着地に失敗して右腕を骨折してしまったことがあります。実は、その骨折がきっかけで、将棋に夢中になりました。

父に乗せられ将棋が大好きに

 その頃、父が自宅で将棋教室を開いていました。骨折して家でおとなしくしているしかない私に、「指してみる?」と。最初は、すごくやさしい教え方でした。

 清水家の教育は、基本的に親が子どもに何かを押し付けることはありません。ただし、本人がやると決めたら、その目標を達成するまで、絶対にやめさせてくれませんでした。たとえば、私が「お手玉を3つ、両手で回せるようにする」と言ったら、暗くなっても、ご飯も食べさせずにできるまでやらせるのです。「この子ならできる」と思えば、そこは徹底して、自分たちも食べずにひたすらそばで見守っているような両親でした。

 将棋に関しても、最初は指す楽しさを感じてもらおうと、とにかく好きなように指させてくれ、勝たせてくれました。私も勝てばうれしいし、毎回ほめてもらえるので、「また指そうかな」という気にもなり、今、考えると上手に興味を持たせてくれたのだと思います。いつの間にか、将棋が大好きになっていました。

強くなるために越えるべき壁は「父」

 転機が訪れたのは、中学2年のときです。女流アマ名人戦に出て、1回戦で敗退し、そこで自分に火がつきました。

 それまでは、父はもちろん、教室の大人の生徒さんたちも盛り上げてくれたので、自分も天狗になって、内心「もしかしたら優勝しちゃうかも」なんて思っていましたが、全国には強い相手がたくさんいて、まったく将棋にならず、ポキッと天狗の鼻が折れてしまいました。

 それが悔しくて、初めて自分から父に「将棋を教えてください」とお願いしたのです。すると、それまで楽に勝たせてくれた父が、その日からまったく勝たせてくれません。本当はこんなに強かったのだ…と初めてわかって、それからは、自分が越えなければいけない最初の壁は父になりました。

 翌年の中学3年のとき、同じ女流アマ名人戦で全国優勝し、プロになるための修行に入りましたが、その時点で父は「アマチュアである自分とはもう指さないほうがいい」と。父との対局もそれきりで、今も「一度も勝てない相手」として、尊敬もそのまま残っています。

プロ入りに親が反対 家族会議は半年

 しかし、すんなりプロへの修業が許されたわけではありません。

 父も自分で将棋教室を開いたくらいですから、私が「プロに進みたい」と言えば、当然、賛成してくれると思っていたのです。ところが大反対され、こちらがびっくりしました。

 「盤上は人生勉強の宝庫」と、父はよく言っていました。たとえば、相手の手を読むことで、相手の立場でものを考えることができるようになり、構想力や応用力もつく。しかし、プロは結果がすべてです。「優勝したら歴史に名を残せるが、2番以下は誰の記憶にも残らない。それでも進む勇気はあるか?」と聞かれ、家族会議は半年間にも及びました。

 最後は「プロになるなら約束事を決めよう」となり、「じゃあ、てっぺんを目指します」と言ってしまいました。それで両親も納得し、全面的に応援すると言ってくれ、故・高柳敏夫名誉九段に弟子入りするに至ったのです。

人より遅いスタート 厳しい修行の日々

 父の厳しさから解放されたものの、今度は修行の厳しさに直面することに。入門のとき、師匠からは「化粧はするな、恋愛はするな、(人に教えて)金は稼ぐな。タイトルを取るまでは。その条件が守れるなら弟子にしましょう」との金科玉条をいただき、「もちろん約束します」と答えました。

 しかし、小学生で弟子入りする子も多い将棋の世界で、私は弟子入りもそうですが、育成会というプロの養成機関に入った年齢も遅いぐらいです。その遅さを埋めるためには、1日24時間ではとても足りません。師匠には高校進学も止められました。ただ、勉強も好きだったので、反対を押し切る形で高校にも行くことを決めました。

 そんなわけで、親にも師匠にも弱音を吐けるはずもなく、雨の日も雪の日も道場に通い、学校も休むことはありませんでした。家への帰り道、1人泣きながら帰ったこともあります。そんなとき、心の支えになったのは、やはり父との約束、そして、師匠との約束です。普段は口の悪い兄弟子に限って、こっそり自分の研究ノートを貸してくれたことも、がんばるモチベーションになりました。

19歳で初タイトル 失くす怖さを知った

19歳で初タイトル獲得

19歳で初タイトル獲得

茶道の師匠宅にてお稽古の最中

茶道の師匠宅にてお稽古の最中

 16歳でプロになり、初タイトルを取ったのは、高校を卒業した19歳のときです。「女流名人」というタイトルでした。緊張感はありましたが、負けてもともと、失うものは何もなく、思い切り臨めたのは挑戦者の特権だったと思います。

 ところが、ついに結果を残せたことで有頂天になってしまって、地に足が着かないまま1年後の防衛戦を迎え、翌年すぐにタイトルを取られてしまった。てっぺんから転げ落ちると待遇もまったく変わるのが勝負の世界で、そのとき初めて、勝ちと負けがどれだけ違うか思い知らされました。

 そして、また翌年は取り返すことができ、それからは、取ったり取られたりのタイトル戦が続きました。そこで気づいたのが、「将棋は棋力がすべてではない」ということです。若いときは、力さえあれば勝てると思っていました。しかし、タイトル戦で何回か大きい舞台を経験すると、精神面がものすごく大事なのだとわかってきたのです。

 まず気をつけたのは、健康面です。少し風邪気味だったり、前日に食べ過ぎたりするだけで盤上に影響し、集中力を欠いて、指し手に迷いが出てしまいます。タイトルを取られてからは、普段の生活を見直し、食事や睡眠に気を遣うようになりました。

 また、師匠に「畳の上の振る舞いが必ず役に立つから」と、茶道のお師匠さんを紹介され、伝統文化を学んだこともすごくプラスになりました。

全冠制覇し目標を見失った

2003年第14期女流王位戦

2003年第14期女流王位戦

 その後、女流の4つのタイトルを制覇したとき、明日から私は何を目指したらいいんだろう?という悩みが頭をもたげた時期があります。世間では「女羽生」などと持ち上げられ、将棋以外の方々とのお付き合いも増えましたが、一方で、心の整理がつかなくなってしまったのです。

 そのとき、茶道のお師匠さんから言われた「タイトルの数を増やすことがあなたの目標なの?」というひと言にハッとしました。自分が強くなること、将棋の技術を磨くことを志してこの世界に入ったことを思い出し、「昨日より今日、今日より明日の自分を成長させる」という新たな目標を立てました。

 かえって果てしない目標を立ててしまったなとも思いますが(笑)、今は、たとえ道を外しても、また元の道に戻れる道標は自分で持っているという自負があります。

人と比べないと未知の世界が開ける

 もともと私は誰かと同じことをするより、道なき道を行くのが好きで、「将棋の定跡」といわれる戦法の型にもあまり捉われずにここまで進んできました。すると、自分にしか見えない景色が見えてくるのです。

 史上初のクイーン4冠をとったときも、女流棋士で初めての七段をいただいたときも、そう思いましたが、初めての場所に立つと、誰とも比べられません。みなさんからは「大変でしょう?」と言われますが、逆に、苦労があればあるほど楽しくてしょうがないのです(笑)。

 今は、女性で初めての日本将棋連盟常務理事も務めています。少しでも女流棋界の発展に貢献できれば。そして、1人でも多くの方に将棋の楽しさを知っていただければと思っています。

オフの楽しみは父との野菜づくり

清水 市代さん
自宅の家庭菜園にて父と

自宅の家庭菜園にて父と

 今は連盟の仕事に追われ、盤に向かえるのは対局のときぐらいで、全国を駆け回っています。でも、たまに家に帰ってきたときくらいは親孝行をしようと、父が始めた家庭菜園を手伝ううちに楽しくなって、今は自分にとっても幸せな時間になりました。

 トウモロコシなどは案外、手間も時間もかかり、母に「買ってきたほうが早いんじゃない?」と言われることもありますが、太陽の光を浴びて土をいじるのは健康にもよく、採れたての野菜が食卓に上るといおいしさも格別。幸せを感じます。
(東京都渋谷内の一室にて取材)


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