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367号 注目の人 女優/羽田 美智子さん

芸能界入りのきっかけは占い師の助言。「その言葉に光が見えた!」
羽田 美智子/女優
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羽田 美智子/女優
1968年生まれ、茨城県出身。88年、日本旅行のキャンペーンガールに選ばれデビュー。94年、映画『RAMPO』でヒロインを演じエランドール賞新人賞、第18回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。翌年公開された映画『人でなしの恋』でも日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した。以来、数多くのCM、ドラマ、映画で活躍中。2019年4月、慶応元年創業・羽田甚商店の6代目として屋号を引き継ぎ、ECセレクトショップをオープン。羽田甚商店公式サイト https://hadajinshop.co.jp/



9人の大家族!江戸時代の家屋で育った

4歳のころ、自宅の外廊下で

4歳のころ、自宅の外廊下で

 わが家は9人の大家族。私が生まれたときは曽祖父、曽祖母、祖母、叔父、両親、2人の兄がいました。叔父は病気の後遺症で障がいがあったのですが、母が本当に面倒見のいい人で、叔父にはお魚でもお肉でも一番いいところをあげていました。そんな母の背中を見て育ったことは、自分にとってとても大きいことだったと思います。

 住んでいた建物は、宮大工をしていた高祖父が建てた江戸時代のものでした。太い大黒柱に囲炉裏、庭には蔵が2つあり、まさに時代劇に出てきそうな家です。

 私が小学生のとき建て替えたのですが、今思えば、建物は残しておいてお店でもやったらよかったと、少し後悔しています。

占い師の一言が芸能界入りのきっかけ

中学生のころ、修学旅行で

中学生のころ、修学旅行で

 中学生のころ、東京を歩いていて芸能事務所にスカウトされたことが何度かありますが、自分には無理だと思っていました。親に言われたのは、「芸能界はとびきりかわいい子か、不幸な境遇の人が行くところ。うちみたいな平々凡々な家庭で育った子がそんな世界で通用するわけがない」。親の偏見も入っていますが、たしかにそうだ、自分の行く場所ではないと、短大まで進んだのです。

 私が就職活動をしていた時代はバブルの終わりかけで、1人10社の内定をもらえるほど引く手あまた。短大の中でも、8割の学生は銀行や大手証券会社に就職が決まっていました。ただ、私には一般企業に就職するイメージがわかなかった。「行きたい場所があるのに、それがどこか分からない」感じでした。

 そんなとき、友達がよく当たるという占い師さんを教えてくれ、悩みを胸に抱えてその方のところへ行ったのです。

 すると、何も聞かれないまま私が書いた名前に手をかざし、一言「芸能界に行きなさい」と。最初は意味が分からなくて、「え?」と聞き返したら、「まずモデルをやって、そこから芸能界に入ったらいいですよ。そうなっていますから」と言われて。そのとき、信じられないことに、目の前に金色の光が見えて、ふわーっと目の前が明るくなったことを今でも覚えています。

朝ドラヒロインに応募 たった1人の挑戦

20歳ごろ。オーディションを受けたころ

20歳ごろ。オーディションを受けたころ

 占い師さんから「オーディション雑誌があるでしょうから、そこで見つけて応募したらどうですか?」と言われた通り、すぐに『デビュー』という情報誌を買って、2つのオーディションを受けることにしました。

 1つは朝ドラ『ノンちゃんの夢』のヒロイン、もう1つは水着のコンテストです。短大が秘書科だったので、履歴書には秘書検定2級とか、珠算検定、簿記検定、ワープロ検定…と書いて送ったところ、朝ドラの書類審査に無事合格。ただ、審査会場で「念のため確認ですが、一般事務ご希望ではないですよね?」と聞かれてしまいました(笑)。

 それから2次、3次審査まで行ったところで電話をいただき、候補から外れたことを知りました。そのとき、「実は1人で応募されたのは羽田さんだけなんです。NHKとしては最終的に個人とは契約できないので、どこか事務所に入ってまた受けてください」とアドバイスをもらって、初めてそういう世界なのだと。そんなことも知らずに応募するなんて、若いとはいえなんと無謀な挑戦だったのだろうと思います。

 結局、水着コンテストも落ちたのですが、運よくスカウトマンがたくさん来ていて、あるモデル事務所と契約することになりました。朝ドラも挑戦を続け、ついに3回目の応募で『君の名は』に出演が決まりました。

20代はもがいてばかり 自信がなかった

 20歳で女優デビューし、20代はさまざまな経験をさせていただきました。映画の主役をいただいて、たくさんの賞をいただいたり、海外の映画祭に連れて行っていただいたり、まわりからは「順風満帆だね」「すごい仕事をさせてもらってるね」と言われて。でも、そんな華々しい経歴と反比例するように、20代は自分を否定することが多かった。

 自分の実力と世間の評価とのギャップがありすぎて、チャンスを生かしきれない自分がもどかしく、「がんばらなきゃ!」「私はもっとできるはずだ!」という感情が表情に出ていた気がします。あのころの写真を見ると、どれも眉間にシワが寄って厳しい顔をしているなあと。踏ん張って、踏ん張って、与えられた役に精一杯しがみついていた自分がそこにいます。

重ねた時間を価値に。そうだ、京都になろう

京都にある神社にて

京都にある神社にて

 30代になると、別の焦りが出てきました。20代のときに当たり前のようにいただいていた役が、ほかの若い女優さんのところに行くようになって、「自分はもう求められていないかも」と思うようになったのです。

 今振り返ると、人生の踊り場というか、本当は次のステージに行くためにじっくり自分と向き合ういい時間だったのだと思いますが、当時は「私はこのまま女優としての価値がなくなってしまうのかしら…」と、歳を重ねることが怖かった。そういう時期に出合ったのが京都です。

 京都の由緒ある神社仏閣、職人さん、代々続いてきた伝統の技術、食文化などを紹介する番組のレギュラーが決まって、自分でも京都のことを勉強するうちに、ふと、「京都の魅力や美しさは、積み重ねた時間の重みがあるから人々の心をつかむんだ。それは人間にも同じことが言えるはずだ」と思ったのです。それで、「そうだ、京都になろう」と(笑)。

 自分が重ねてきた時間にこそ価値が出る生き方をすれば、50歳、60歳になったとき、オンリーワンの存在になれるのではないかと思ったら、急に心が軽くなって、歳を取ることにまったく恐怖心がなくなりました。

目指すところは人にも自分にも優しく

茨城県北茨城市でのボランティア活動の様子

茨城県北茨城市でのボランティア活動の様子

 俳優の世界は「その役をやれるのは1人だけ」という競争社会です。常に人と比較され、人に選ばれる仕事をしていると、他人からの評価が自分への評価になりがちで、いちいち胸に刺さったこともありました。でも、京都に出合い、未来への指針を持ててからは、自分は独自の道を行こうと自信を持って生きていけるように。仕事に対するスタンスも「自分のため」ではなく、「人のため」になった気がします。

 この作品が誰かの心に届けばいいなとか、少しでもいいから社会の役に立ちたいとか。目指すところは自分にも優しく、人にも優しく、です。

 東日本大震災があり、その後に起きた関東・東北豪雨では地元(茨城県常総市)も水害に遭い、実家も泥水に浸かってしまいましたが、その後は生き方そのものがシンプルになりました。この世は砂上の楼閣。一瞬にして足元から崩れてしまうことがあり、あれは誰にとっても悲しい出来事でした。しかし、1つだけ光を見るとすれば、「物に執着しちゃだめだよ」という教えがあったのではないでしょうか。

 私は離婚して今は独身ですし、身軽な分、暮らしもとてもシンプルです。2泊3日くらいで旅に出ることも多い中で、出かける前に玄関に立ち、いつも「なくなったら困るものってあるかな?」と部屋を見回しますが、ほぼゼロ。強いていえば写真ですが、ということは、大事なのは物ではなく記憶。あの世に行くときは身一つなのだと思って、覚悟して家を出ます。

 だからこそ、人との接し方には気をつけています。もしかしたらこの人とは二度と会えないかもしれないと考えて、ちゃんとお礼を言ったり、ありがとうと感謝の気持ちを伝えたり。東日本大震災以来、ずっとそんな生き方をしています。

羽田甚商店6代目に。テーマは「美」と「健康」

屋号を継いだ「羽田甚商店」

屋号を継いだ「羽田甚商店」

羽田 美智子さん

 今年になって、『羽田甚商店』の6代目店主になりました。『羽田甚』とは、宮大工の高祖父・羽田甚蔵が立ち上げた屋号です。

 2代目以降は宮大工とは縁がなく、商売人になって理容器具店が2代続き、そのあと文房具屋をやって、親の代はタバコ屋でした。幼いころは「みっちゃん、何人? 羽田甚!」とからかわれて嫌だったので、まさか自分が屋号を継ぐなんて夢にも思っていませんでした。

 きっかけは、NHKの『ファミリーヒストリー』という番組です。番組の中で両親がタバコ屋を閉じるとき、「私たちの代で屋号を途絶えさせてしまうことをお許しください」と仏様の前で謝っている姿を見て、「屋号を下ろすってそういうことなんだ!」と分かり、自分が継承することを考え始めたのです。

 ちょうどそのとき、羽田美智子オリジナルのアロマミストの販売をしていて、売れ行きが好調だったことと、京都で職人さんたちから商品の目利きを教えていただき、「本物」を見分ける目を養っていたので、自分が持っているものを生かせて、人に喜ばれる仕事ができたらいいなと、ネット上のセレクトショップをオープンしました。

 テーマは「美」と「健康」。私が全国各地で出合った本当にいいもの、かつ、自分が何年も愛用しているものだけをご紹介しています。

 いいものはAIではつくれません。人の手を介しているからたくさんはつくれないものばかり。数もそれほど多くなく、すぐに売り切れてしまうこともありますが、体にいい、心に優しいものをご用意していますので、ぜひ一度のぞいてみてください。
(東京都台東区内のスタジオにて取材)


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