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351号 注目の人 囲碁棋士/小川 誠子さん

父はプロ棋士を夢見た… …8歳で天才少女と呼ばれ
小川 誠子/囲碁棋士
Profile

小川 誠子/囲碁棋士
1951年、福井県生まれ。6歳から囲碁を始め、小学4年生から日本棋院中部総本部に通う。14歳のとき全日本女流アマチュア囲碁選手権大会で優勝し、「おかっぱ本因坊」として話題に。これを機に木谷實九段に入門。70年入段、95年六段。この間、「女流本因坊」「女流鶴聖」など多数タイトルを獲得。2008年、女性では2人目の通算500勝達成。公益財団法人日本棋院所属。10年より2年間、棋士会会長を務める。現理事。福井ふるさと大使。



囲碁は6歳から 小4でプロを目指す

 6歳のとき、父の手ほどきで囲碁を始めました。父の姉が戦争未亡人で苦労していたのを見て、これからの時代は女性も手に職を持ったほうがいいと考え、私に碁を教えたようです。

 父は銀行員だったのですが、碁も将棋も大好きで、かつてプロ棋士を夢見たほどの強豪。「一度始めたら続けることが大事」と、毎日、登校前と帰宅後に碁の勉強をさせられました。熱があっても、家族旅行へ行くときも、とにかく碁盤を離さない。土日は碁会所へ連れて行かれ、ご年配の方々にまじって対局していました。

 担任の先生からは、「その力を勉学に向けて、良い大学を目指したほうがいい」と言われていましたが、昼休みになると、教頭先生に呼ばれてお相手をさせられる。ほとんど私が勝つので、今思えば指導碁でしょうか。おとなしい性格で言い出せませんでしたが、「何か面白いな」とは思っていました。

 8歳のとき、新聞に載っていた詰碁の出題を解き、応募すると、「8歳で本当にこの問題が解けたのか?」と、わざわざ新聞社の方がわが家へ確かめに来ました。間違いないと分かると『天才少女』と書かれ、その記事を目にした囲碁関係者の方が、「早くプロ養成機関で勉強を始めたほうがいい」と、日本棋院の中部総本部(名古屋)に誘ってくださいました。

 実際に通い始めたのは小学4年生のとき。そのころには「ここまで時間を費やしたからには、プロを目指したい」と思うようになっていました。

14歳でアマ大会優勝 相手の涙にプロの覚悟

14歳のころ。全日本女流アマチュア囲碁選手権戦で優勝し、「おかっぱ本因坊」として話題に

14歳のころ。全日本女流アマチュア囲碁選手権戦で優勝し、「おかっぱ本因坊」として話題に

 中学生になり、女性のアマチュア選手権に初めて出場しました。無我夢中で愛知県の予選を勝ち上がり、その勢いで全国優勝。「おかっぱ本因坊」と呼ばれ、大きく取り上げていただきました。

 私はダークホースで、優勝候補は別にいたので、のびのび打てたのがよかったのでしょう。しかし、対局の終盤、「勝てちゃったかな」と思いふと相手の顔を見ると、厳しい表情で涙を流されていて、ドキッとしたのを覚えています。

 すでにプロ志望だった私は、「アマチュアの大会でこれだけプレッシャーがあるのだから、プロは甘い世界ではない。私が逆の立場になることもあるのだ」と覚悟させられ、その日は眠れませんでした。

プロの世界は 自分の性分に合っていた

20歳のころ。木谷實師匠の娘であり、憧れの木谷禮子先生との女流名人戦決勝戦。左が本人

20歳のころ。木谷實師匠の娘であり、憧れの木谷禮子先生との女流名人戦決勝戦。左が本人

 その後、木谷實先生の門下生になり、本格的に碁の修行に入った私は、18歳でプロ棋士に。めったにほめてくれない父から「本当におめでとう」と言われ、うれしかった。これで少し親孝行できたかなと思いました。

 囲碁の素晴らしさはいろいろありますが、まず、自分の性分に合っていたのは、勝ち負けの責任を自分で負えるところです。

 当時は、今のように椅子ではなく、持ち時間も1人6時間ずつと今の倍あり、異常なほど長い時間で勝負が決まります。でも、畳の下から上がってくる地のエネルギーのようなものと、自分の内側から湧き上がる「いい碁を打ちたい」という情熱が一体化するような感覚になり、どれだけ長い対局でも集中力が途切れず、没頭できました。今はもうそれを味わうことはできませんが、とても幸せな時間でした。

政財界の重鎮から教わった大事なこと

 囲碁といえば、政財界に愛好者が多いことで知られています。普通ならお目にかかれないような素晴らしい方々に、10代のころから出会えたことは、私にとって大きな財産になりました。

 囲碁はお教えしますが、その後、いろいろな話をしてくださいました。あるトップの方は「囲碁の世界だけにいてはいけない。各分野の一流の考え方を知って、刺激を受けなさい」と、財界人の方以外にも、歌舞伎の人気役者さんや角界で三役を務める力士さんなど、第一線の方々を紹介してくださいました。あまりに著名な方々ばかりにお会いしていたため、22歳のある日、「この環境に甘えてはいけない。自分の心をしっかり持っていなければ。でも、私はこの方々にどのように恩返しができるんだろう…」と、日本棋院に向かう坂の途中でしゃがみ込んでしまいました。

 若いころから「先生」と呼ばれ、慢心してしまいそうな自分を戒めるには、結局のところ、一瞬一瞬を大事に、誰に対しても誠実に生きるしかないと思ったのでした。

俳優と棋士の結婚 動と静の恋の行方は…

 主人(俳優の山本圭さん)との出会いは、私の兄弟子が俳優座に教えに行っていて、「よかったら遊びにこない?」と言われたのがきっかけです。

 彼は私と出会う前に体を壊していた時期があり、そのときに囲碁をかじって俳優座の囲碁部に入ったそうです。そしてその日、たまたまそこに来ていて出会いました。

 その直後、私は三段から四段に昇段し、俳優座の皆さんがお祝いしてくださったのです。その後また連絡があり、「もう一度お祝いを」と言われて出かけて行くと、そこにいたのは彼一人だけ。そのまま自宅に連れて行かれて、お父さまに「いつ結婚するの?」と言われ、面食らいました。

 正直に言えば、私はもっと囲碁の勉強をしたかったので、まだ結婚は考えられなかった。それに、ほとんど初対面に近い相手でしたので、「もう少し時間をかけて、私を見てください」と言いました。

 また、お芝居と囲碁は、言ってみれば動の世界と静の世界。相手が芸能人ということで、私の母もびっくりして熱を出し、寝込んでしまいました。わが家は親戚も銀行員や公務員、学校の先生が多かったので、まさか…という気持ちだったのでしょう。でも、とてもいいご両親で「ともちゃん、早くきて」と言っていただき、彼もとても純粋な人でしたので、結婚に踏み切ることができました。

 実は、当時他にもいろいろお話をいただいていましたが、両親が「まだ碁の勉強があるから」と、全部お断りしていました。私を応援してくださる政財界の方々も心配してくださって、「君の条件通りの男性を選んであげるから、今はやめなさい」と言っていたくらい(笑)。娘はいまだに「なんでママはパパと結婚したの?」と聞いてきます。でも、これも縁だったのでしょうね。

育児をしながら対局 濃い30代だった

30代半ばころ。1984〜1993年、NHK杯テレビ囲碁トーナメントで司会を務めていた

30代半ばころ。1984〜1993年、NHK杯テレビ囲碁トーナメントで司会を務めていた

30代。両親との台湾囲碁旅行にて。左端が父、右から2番目が母、右端が本人

30代。両親との台湾囲碁旅行にて。左端が父、右から2番目が母、右端が本人

 35歳で娘を出産しましたが、当時はすごく体力がありました。夜中の1時、2時まで対局しても、書くことが好きだったので、家に帰ってからも原稿を書いたりして。子育てをしながら、一時は新聞にお料理の連載を持ったほどお料理も好きで、今、考えると信じられないのですが、どうしてそんなにがんばれていたのかな?と思うほど、精力的に活動していました。好奇心が手伝ってエッセイ集も出し、出版社の方から「小説を書いてみませんか?」と言われたこともあります。

 NHKでのテレビの聞き手も10年させていただき、終えたのが42、43歳のころ。そのとき、今が人生の折り返し地点だと思って、一旦区切りをつけようと、お料理の仕事もすべてお断りして、日記も全部捨ててしまいました。今思えば、ちょっともったいなかったなとも思います。

年齢とともに、役割が変わってきた

日本棋院特別対局室「幽玄」の間で指導碁をする小川六段

日本棋院特別対局室「幽玄」の間で指導碁をする小川六段

 その後、40代から力を入れ出したのは、囲碁の普及活動です。タイトル戦にも出ていましたが、囲碁人口が少なくなりつつあったこともあり、囲碁界への恩返しをしたいと強く思うようになりました。

 いろいろな場所で指導をすることで、たくさんの珠玉の言葉にも出合いました。ある高校生は、「碁を知っていると、コミュニケーションが取れるので、キレる子は出ないと思う」。数学のオリンピックで4回金メダルを取った高校生は、「碁を覚えてから、僕は謙虚さを知りました。答えのない世界を知って本当によかった」。自閉症児のお母さまは、「碁を覚えて、初めて笑顔を見せてくれました」とおっしゃってくださいました。

 今、脳梗塞の方々にもお教えしていますが、碁を打つことで元気になる人は多い。ほんの少しでも、囲碁を通して社会のお役に立てることを幸せに思っています。

 囲碁を打つ子どもたちは、学力も高いというデータも出ていますし、ご年配の方には認知症になりにくいというデータも出始めています。そういう楽しみ方のひとつとして、囲碁が選ばれればいいなと思います。

プライベートでは食べるのが大好き!

インスタグラムで反響の大きかった1枚。日本棋院1階にある、井山裕太棋士の等身大パネルの前で

インスタグラムで反響の大きかった1枚。日本棋院1階にある、井山裕太棋士の等身大パネルの前で

小川 誠子さん

 囲碁以外には、プライベートでは、旅行や観劇、お料理などが好きです。特に、楽しみなのは“食べること”。気に入ったお店のカードを専用ホルダーに整理し、行ってみたいお店は携帯電話に登録。いろいろなグループでの食事会で、「どのお店に行こうかしら」と迷うのも楽しみのひとつです。

 おしゃれも楽しいですね。特に好きなのはイヤリング。身に付けているものから会話が弾むこともありますし、年を重ねた今は、服装も明るい雰囲気を心がけています。

 最近、インスタグラムも始めました。今までで一番反響が大きかったのは、井山裕太七冠の等身大パネルと一緒に撮った一枚。これからも自分の好奇心に従って、明るい毎日を過ごしていけたらと思っています。
(東京都千代田区の日本棋院にて取材)


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