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団地再生 -団地再生を考える-

団地再生シリーズ186弾

都心超高層から見える
心地よい生活環境とは

三井 直樹さん

共立女子短期大学 生活科学科 教授
三井 直樹さん

共立女子短期大学生活科学科教授、京都大学博士(人間・環境学)。主な著書に『色彩デザイン学』『構成学のデザイントレーニング』(六耀社)など。


自宅からの眺望。隅田川の先に筑波山と東京スカイツリーを望む。手前は佃リバーシティ21のマンション群(撮影:筆者)
自宅からの眺望。隅田川の先に筑波山と東京スカイツリーを望む。手前は佃リバーシティ21のマンション群(撮影:筆者)
現在、勝どき周辺は駅や五輪選手村、豊洲新市場、環状2号など、急ピッチで工事が進行中
現在、勝どき周辺は駅や五輪選手村、豊洲新市場、環状2号など、急ピッチで工事が進行中

 現在、私が家族とともに住む中央区、勝どきの高層マンションは10年目。54階の角部屋にあるわが家からは、朝になると、広い空とともに遠くの筑波山を背に東京スカイツリーや銀座、大手町の高層ビル群、皇居の眺望が広がり、隅田川とともに築地市場を眼下に望む。夜になると銀座のイルミネーションが美しい。

 地上では感じられない、そんな開放感あふれる風景こそが超高層に住まうダイナミズムだと実感する。

 子ども2人がいる家族にとっては、職住近接のライフスタイルは必須であり、今の住まいを選んだのはごく自然でもあるが、私自身が過ごしてきた生活環境も大きく影響しているのも事実である。

 住んでいた場所や住居形態というバロメーターでみれば、私の住まい遍歴はバラエティに富んでいるかもしれない。これまでの私の住環境は、子どもの頃から学生時代を経て、社会人になるまで、かなり目まぐるしいものだった。

 記憶をさかのぼれるのは銀座の幼稚園に通っていた時期で「晴海高層アパート」に住んでいたころだ。ここが私の住まいの原風景である。

私の住まいの原風景「晴海高層アパート」

 今の晴海トリトンスクエアの場所(東京都中央区晴海1丁目)にあたるが、当時の日本住宅公団が1958年(昭和33年)に建設した(平成9年に解体)。UR都市機構のサイトの紹介によると、将来の高層集合住宅を見据え、建築家、前川國男が設計し、公団初のエレベーターや新しい構造の導入など先進的な試みが随所に盛り込まれていた。

 ここは銀座からわずか2キロメートルほどの距離でありながら、交通手段が当時都バスのみで不便であったが、開放感のあるウォーターフロントの立地で、月島、佃などの下町風情にも恵まれた地域であった。お世辞にも贅沢な住まいではなかったが、わずか10階建で高層住宅と呼ばれただけに、新しい住居形態であったことは確かだろう。

 小さいときのことなので、住まいに対して特段の感覚はないが、銀座の学校に通ったせいもあり、大都会で暮らしているという意識だけは持っていた。

筑波研究学園都市の一軒家

(上)大学時代過ごした松永安光氏設計の「INSCRIPTION」
(下)同内部の様子。1987年(撮影:三井秀樹)
(上)大学時代過ごした松永安光氏設計の「INSCRIPTION」
(下)同内部の様子。1987年(撮影:三井秀樹)

 中学になると、父親の職場が移り筑波研究学園都市へ越すことになり、私の住環境は一変した。公務員住宅や中古の一軒家を経て、私が大学生になった頃、父は筑波大学から少し離れた高台に家を建てた。

 この家は建築家、松永安光氏による設計で斬新なデザインであった。筑波山を間近に見る緑豊かな自然に囲まれ、シルバーの屋根が輝く円形と三角形で構成された建物は、当時のハイテックスタイルとも言える近未来的な外観の住宅であった。インテリアには、家具デザイナー、故・大橋晃朗氏による大胆な色彩と造りのソファやテーブル、本棚やワイヤーで張られた天蓋など、ギャラリーの様を呈したインスタレーションであった。

 どの部屋にも一般的な矩形(くけい)やフラットな天井は見当たらず、規格的な建具は皆無であった。このアンバランスで非対称な空間で暮らすことは私にとっては刺激的でもあった。緑のなかにぽつんと建つ家は当初ミスマッチにも見えたが、さりげなくなじんでいた。無機質さと和みを共存させた住まいの佇まいがあったのだろう。

ボストン、ニューヨーク、そしてジョージア

夕闇せまるエンパイアステートビル。古い建造物とのコントラストが美しい。19丁目チェルシーからの眺め。1993年(撮影:筆者)
夕闇せまるエンパイアステートビル。古い建造物とのコントラストが美しい。19丁目チェルシーからの眺め。1993年(撮影:筆者)
中庭とプールを中心に広がるタウンハウスの様子。米国、ジョージア州サヴァナ。1996年(撮影:筆者)
中庭とプールを中心に広がるタウンハウスの様子。米国、ジョージア州サヴァナ。1996年(撮影:筆者)

 大学卒業後、大学院進学のため米国に渡り、在米7年ほどの間にボストン、ニューヨーク、ジョージア州サヴァナで過ごした。ボストンでは築100年を過ぎたアパートメント、ニューヨークではチェルシーのマンション、サヴァナでは緑豊かな敷地にあるタウンハウスで過ごしてきた。それぞれの住環境はとても好対照であり、米国の住宅事情の一端を体感することができた。

 大都会のニューヨークやボストンでは、古いマンションほど人気があり、リフォームしながら住むことがステイタスだ。ゲストを招いた時にも、リビングだけでなくベッドルームまですべて見せる習慣がある。自らの住まいを見てもらうことが、自己表現の場として捉えられているのだろう。

 また、ジョージアのサヴァナで暮らしたタウンハウスは、歴史的建造物が建ち並ぶダウンタウンから少し離れた地区にあった。敷地内にプールやジムを備え、美しい芝生とともに、スパニッシュモスが南部ならではの独特の雰囲気を醸し出す居心地のよい住環境であった。

 一方、サヴァナのダウンタウンは、碁盤目状に広がる全米最初の計画都市で、19世紀には最も豊かな都市のひとつでもあった。今では、川沿いの古い綿花倉庫は改装されて、マーケットプレイスとして賑わっている。

 私が生活してきた米国のいずれの都市も、古い建物をリニューアルさせながら成熟度を上げた住環境の集積であり、ウォーターフロントという海や川の水辺のシーンをうまく取り入れた点で共通している。

再び、日本へ

 留学を終えた帰国後、しばらくぶりの東京で生活がはじまった。子どものころの感覚に引き寄せられたのか、再び気心知れた場所に居を構えた。20年前には、すでに佃、月島、勝どき、豊洲、東雲など湾岸エリアの再開発は進みつつあり、次々と高層住宅が建設され、その姿は20代のころに住んだマンハッタンの摩天楼のように風景ががらりと変わっていた。

 この街の将来の風景は想像もできないが、今なお高層マンションやビルの間にひっそりと昔ながらの情景も見ることができる。どんなに街が新しくなろうとも下町風情のようなものが宿れば、もっと東京の魅力が出てくるのではないだろうか。

 東京の街は、もともと江戸の昔から埋め立てともに発展し、運河や掘割を巡らせた水の都が形成された。今は、その水辺の魅力を生かしたまちづくりとして、東京都港湾局による「運河ルネサンス」が10年以上前より進められている。湾岸エリアの再開発は、新しい水の都として都心の未来の姿を告げていくことになるだろう。

 超高層マンションというと無機質なイメージが先行しやすいが、実は自然が身近に感じられる。わが家の北東角部屋の窓からは、遠くには房総半島から富士山まで、足元には都会の街並みや皇居が広がり、朝焼けや夕日も楽しめる。大雨や台風の翌日は、隅田川は茶色く濁り水辺の様子も一目でわかる。

 広い窓から見える情景の変化で春夏秋冬の移ろいを実感できる。都心でありながら自然が身近にある、そのコントラストが心地よい。私にとって、変化しつづける東京都心の街並みは自然と一体化した風景だ。

 今では個人の好みに合わせてさまざまな住まい方を選ぶことが可能である。昔ながらの下町、できたばかりの新しい街並み、それぞれに、それぞれの価値を持つ東京は、新しい住まいのあり方を探索できる楽しい街だ。

団地再生まちづくり3

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団地再生支援協会 www.danchisaisei.org/