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今月のWomanは桑名市博物館 歴史専門官 大塚 由良美さん

大塚 由良美さん
たかが千羽鶴、されど、連鶴
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大塚 由良美さん/桑名市博物館 歴史専門官

■お問い合わせ先
桑名市博物館
〒511‐0039
三重県桑名市京町37‐1
TEL:0594‐21‐3171
FAX:0594‐21‐3173
メールアドレス hakubutum@city.kuwana.lg.jp


桑名発祥の連鶴

 今から200年余り前の寛政9年(1797)に、日本最初の遊びの折紙の本『秘伝千羽鶴折形(ひでんせんばづるおりかた)』が発売されました。「千羽鶴」といえば、1羽の鶴、または1羽の鶴を1000羽折ってつないだものを想像しますが、この本には、1枚の紙に切り込みを入れるだけで連続した鶴を折る独特の連鶴が、2羽から最高97羽つながる49種類、製図と姿絵とともに掲載されています。

 この驚異の連鶴を考案したのは、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)長圓寺(ちょうえんじ)の住職であった魯縞庵義道(ろこうあんぎどう)でした。このことから、この連鶴は「桑名の千羽鶴」と命名されて、昭和51年に桑名市の無形文化財に指定されました。

されど連鶴

復元して折った「相生」(藤村俊二さんも挑戦)
復元して折った「相生」(藤村俊二さんも挑戦)

 『秘伝千羽鶴折形』で紹介された連鶴は、簡単に数羽をつなぐものもありますが、鶴の背中に鶴を乗せるような立体的なものや穴を開けて潜らせるような複雑なものまであります。これらは、製図を描かないと折れないので、1羽の鶴を折るのとはひと味違う面白さと、挑戦のしがいがあります。

 私とこの連鶴の出合いは、昭和58年桑名市立文化美術館学芸員の仕事としてでした。このころ、県内の美術館・博物館が所属する三重県博物館協会は、鑑賞の機会に恵まれない地域へ赴き各館の収蔵品を持ち寄って展示をする移動博物館という行事を行っていました。それまで当館は収蔵品の版画などを展示していましたが、昭和58年と59年の2年間、増改築工事を行うため収蔵品は他所へ移されましたので、移動博物館に出品するものがありませんでした。

 この時思いついたのが「桑名の千羽鶴」でした。それまで、文化財に指定されていたのは知っていましたが、折ったことはありませんでした。そこで初めて、当館にあった『秘伝千羽鶴折形』のコピーを手に取りました。

 予備知識はありませんでしたので、同書の1頁目の「蓬莱(ほうらい)」を開いた時、正直書いてある製図の意味が全く理解できませんでした。製図の横に書かれた文字が説明書かと思い読み解いたところ、題名にまつわる狂歌で、折る手助けにはなりませんでした。少々青ざめて次の頁を開いたところ、「拾餌(えひろい)」という2羽がつながった簡単なものでしたので、折ることができました。そうして、とりあえず製図を理解し、絵姿のように折ることができた20種類を移動博物館に展示しました。展示は大変好評を博しましたので、増改築工事が完成し、名称も桑名市博物館と変更され、昭和60年10月に開館した常設スペースに、桑名発祥の文化として「桑名の千羽鶴」49種類を常設展示することになりました。


『秘伝千羽鶴折形』に掲載された「迦陵頻」(桑名市博物館蔵)
『秘伝千羽鶴折形』に掲載された「迦陵頻」(桑名市博物館蔵)

 『秘伝千羽鶴折形』には製図と完成の絵姿はあるのですが、説明も縮尺も一切なく、また、製図に間違いがあって絵のようにはならないものが数点あり大変でした。一番苦労したのは「迦陵頻(かりょうびん)」という種類で、鶴の上に鶴が5羽積み重なる五重塔のような形ですが、製図は5つの正方形枠が示されているだけでした。この時の私の心境は「200年前の人に折れたのに、私に折れないはずがない!」でした。まさに「たかが千羽鶴、されど連鶴」でした。

 博物館で展示をしたため、講習会を開く要望があり、テレビや新聞にも取り上げていただきました。最近亡くなられた「おヒョイさん」こと藤村俊二さんがレポーターとして来られ、初めてであるにもかかわらず、難度の高い「相生」を苦心して折っておられたのが印象に残っています。

 また、解説本『桑名の千羽鶴』を出すに至り、現在9刷を数えています。自分が苦労しましたので、拙著は『秘伝千羽鶴折形』の順番ではなく折りやすい順で49種類を並べています。今では「桑名の千羽鶴を広める会」や本来の技術を伝承する「桑名の千羽鶴技術保存会」があり、一般希望者への講習会や講習修了者へのスキルアップ講座を行っています。この連鶴は、220年前の考案であってもデザイン的にも優れており、贈答や病気見舞い、海外への土産に重宝されています。

 そして、もう一つ、連鶴を折るに当たって大切だと思ったのは和紙選びでした。難しい連鶴になると、手漉きの和紙でないと切れてしまいます。義道が考案した江戸時代は手漉きの和紙しかないわけですので、紙を選ぶ苦労はなかったと思いますが、現代の私たちの周辺には種々の紙がありますので、注意する必要があります。

新資料の発見と今後

復元して折った「釣舟」
復元して折った「釣舟」

 義道(1762〜1834)は、寺の住職でしたが、俳句や漢詩をたしなみ、多くの書物を著した文化人で、桑名藩の儒学者らと交流していました。このような著名人でありながら、義道については資料が少なく生没年すらあきらかではありませんでした。これは、長圓寺が昭和20年の戦災と昭和34年の伊勢湾台風に被災したのが大きな原因です。

 しかし、平成26年に、現在の長圓寺住職長藤神証師のご努力により、伊勢湾台風浸水被害にあった書物の中から『新撰 素雲鶴』など義道の著書が発見されました。住職からのご連絡を受け長圓寺に伺い、新たに発見された資料を拝見した時の感動を今でも忘れることはできません。


『秘伝千羽鶴折形』に掲載された「春遊び図」(桑名市博物館蔵)
『秘伝千羽鶴折形』に掲載された「春遊び図」(桑名市博物館蔵)

 また、常々『秘伝千羽鶴折形』が49種類と中途半端な数だと疑問に思っていたことが、新資料の発見によって解明されたのはうれしかったです。『秘伝千羽鶴折形』の中には挿絵が数枚ありますが、その中に「春遊び図」という正月の座敷遊びの絵があり、娘が手にしている連鶴が同書文中にはない種類なのです。これは一種の洒落で、気が付く人だけが『秘伝千羽鶴折形』は実は50種類だと知るという仕掛けかと思われます。その名称も製図もない連鶴の正体を、今回発見された資料の中にヒントを見つけることができました。

 新資料が発見されたことによって、義道が『秘伝千羽鶴折形』に掲載されたより多くの連鶴を考案していたことが明らかになり、義道の連鶴は奥が深いとつくづくと考えさせられました。今後は新資料のさらなる解明と「桑名の千羽鶴」普及に努めたいと思っています。

 この連鶴に興味を持たれた方はぜひ一度挑戦してみてください。


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