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今月のWomanは青森県立美術館学芸員 板倉 容子さん

板倉 容子さん
馬場のぼると私ー展覧会をきっかけに
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板倉 容子さん/ 青森県立美術館学芸員

■お問い合わせ先
青森県立美術館
青森市安田近野185
017‐783‐3000


馬場のぼるという漫画家

馬場のぼる展 児童漫画のコピーを天井から吊り下げて展示
馬場のぼる展 児童漫画のコピーを天井から吊り下げて展示

 馬場のぼる(1927〜2001)という名をご存知だろうか。

 “とらねこ大将”を中心に好奇心いっぱいの11ぴきのねこたちがユーモア溢れる物語を繰り広げる「11ぴきのねこ」シリーズなどの絵本で知られる、青森県生まれの漫画家である。

 1990年代半ば、開館前の青森県立美術館準備室に勤務するため、青森の地にやってきた私は、幼い頃に親しんだ絵本の作者が青森出身だということを初めて知ったのだった。そこで、「幼い頃に夢中になった馬場のぼるの作品の楽しさ、面白さを紹介する展覧会を開催できないだろうか」と考えた私は、2006年、美術館が開館すると、ご遺族をはじめ、関係者にお願いして展覧会開催のための準備を進めていくことになった。この展覧会準備中に、作家のアトリエから膨大な量の資料が発見された。馬場が漫画家としてスタートした頃の漫画原稿から絵本原画、掲載雑誌の切り抜き、雑誌に掲載されたイラスト原画など、数多くの資料が残されていたのだが、その中でも特に目をひいたのは、大量のスケッチブック類だった。

 無論、絵を描くことを職業にしていたのだから、スケッチ類が残されているのは当然のことなのだが、それにしてもすごい量なのである。町を行き交う人々の服装や仕草、旅先で目にした風景、庭先の草花、散歩中に出会った猫や犬の様子など…駆け出しの漫画家だった頃から亡くなる直前まで、とにかく目に映るものはなんでも描かずにはおれなかったのではなかろうか、そう思わせるほどありとあらゆるものが描かれている。これらの資料を「11ぴきのねこ」シリーズを出版してきたこぐま社の編集者とともに整理、研究する中で、馬場のぼるが見つめていたもの、馬場が作品の中で表現しようとしていたものとは一体何であったのか、ということが気になってきた。

漫画家、そして絵本作家へ

アトリエで見つかったスケッチブックより
アトリエで見つかったスケッチブックより

 馬場のぼるは1927(昭和2)年、青森県南端の町、三戸町に生まれた。幼い頃、東京に住む親戚から送られてくる幼・少年雑誌に掲載されていた『のらくろ』(田河水泡)などの人気漫画を愛読し、小学校時代にはすでに自作の漫画を描くように。中学校時代ももっぱら漫画を描くことに熱中し、教科書、ノートは自作の漫画や落書きなどで埋め尽くされていた。そして、中学校修了後の1944(昭和19)年、自ら志願して海軍飛行予科練習生として入隊し、翌1945(昭和20)年には特別攻撃隊に編成されるが、その訓練のさなか、敗戦の日を迎えた。

 終戦後は三戸町に戻り、代用教員や米軍キャンプ内のポスター描きなどの職を転々としながら、独学で漫画の勉強を開始。この頃、町の書店で、後に生涯にわたって深い親交を持つことになる手塚治虫の漫画を目にして大きな衝撃を受けている。同じ頃、同町に疎開していた児童文学者、翻訳家の白木茂と知り合い、1949(昭和24)年に漫画家を志して上京。白木の紹介で小学館学年誌での仕事を手がけるようになった後、1950(昭和25)年、初の本格的な連載漫画『ポストくん』の連載がスタートする。子どもたちの何気ない日常をリアルに描き出した作品世界は瞬く間に人気を集め、人気児童漫画家としての地位を確立、1956(昭和31)年には子ブタを主人公にした幼年漫画『ブウタン』で第1回小学館漫画賞を受賞した。

 1950年代後半に入ると、大人漫画を手がけるようになり、1970(昭和45)年から日本経済新聞紙上で4コマ漫画『バクさん』(〜1983年)の連載がスタート、連載は14年間に及び、幅広い世代の支持を集めた。

 一方、1960年代からは絵本の世界へも足を踏み入れていく。1963(昭和38)年、初めての絵本『きつね森の山男』(岩崎書店)を発表し、1967(昭和42)年、こぐま社より絵本『11ぴきのねこ』を出版すると、子どもたちの絶大な支持を集め、多くの子どもたちに愛され続けるロングセラー絵本となっていった。

 このように、馬場は、児童漫画家としてデビューし、その後、大人漫画、絵本とその表現の場を広げていった。しかし、表現の場が変わっても、馬場のぼるが描こうとしたものは一貫して変わることがなかったように思われるのである。

時代を超える観察力、描写力

『11ぴきのねこ』こぐま社、1967年
『11ぴきのねこ』こぐま社、1967年

 例えば、児童漫画家時代の漫画絵本『みやもとむさし』では、武蔵は、佐々木小次郎の妹・おくみちゃんと仲良くなっているという設定で、話の最終場面では巌流島において小次郎に勝利するにもかかわらず、小次郎の敗退を悲しむおくみちゃんの姿を想像してしまう。「でも むさしは ちっとも うれしくなかったのです」「ごめんね おくみちゃん」。そして、武蔵は去り、話は結末を迎えるのである。代表作『11ぴきのねこ』でも、この視線は貫かれている。第1作であれば、大きな魚を食べて満足する“ねこたちの幸福”は、罪もなくねこたちに食べられてしまう“大きな魚の不幸”であり、第2作では、あほうどりの丸焼きを食べ逃がして大量のコロッケを作る羽目になる“ねこたちの失望”は、まんまとコロッケにありつけた“あほうどりたちの満足”といったふうに。そこには1つの立場に偏することなく、常に公平な姿勢で対象を見つめようとする馬場のぼるの視線が感じられるのであるが、そうした視線を可能にしていたのは、目に映るありとあらゆる対象をとことんまで観察し、日々描き続けることで培われた鋭い観察眼があったからに他ならない。そして、何より人間を描写する場面で、その力は発揮されたように思う。心のありようが些細な仕草にも表れてしまう人間。周囲の状況によって、猫の眼のように目まぐるしく変わる人間。誰もが身に覚えのある、そうした人間という生き物の愚かしさや面白さを、(時には“ねこ”の姿を借りて)鋭い観察力の中にもあたたかな眼差しを持って描き続けた馬場作品が、特に絵本という分野において大きく花開いたのは偶然ではないであろう。絵本とは、幼い子どもがその主要な読者層であるが、そうした年代の読者であるからこそ、時代の表層にとらわれることなく馬場作品の描く普遍的な面白さを見いだし得たのではないだろうか。

 馬場のぼるが他界して17年。しかし、その人気は今も衰えていない。各地で開催される展覧会には多くの人々が訪れ、関連の著作の出版も続いている。馬場のぼるの故郷、私の勤務する青森県立美術館でも長く馬場作品の魅力を伝えるため、さらなる調査研究を続けていきたい。


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