文/千場優子 撮影/中西絵美 千場優子
●近鉄難波駅から近鉄 奈良線快急で35分、近鉄奈良駅へ
●JR大阪駅から
関西本線大和路快速で41分、奈良駅へ
古都・奈良を語るとき、しばしば小野老が詠んだこの歌から始まる。奈良の繁栄を花にたとえるところなど、さぞ豊かで美しい都であったことだろうと思わせる。
古き良き趣が残る奈良公園内の名所を歩き、奈良時代の足跡を辿ってみたい。


興福寺五重塔(国宝)。京都の東寺に次いで高い五重塔。中は空洞で、何をするというものでもない。五重塔の頂上にある如意宝珠に仏舎利を入れるためとか、また権力の象徴とも言われている。


 春日大社の祭神が、白鹿に乗ってこの地にやってきたという伝説がある。藤原氏の氏寺である興福寺と春日大社は関係が深く、その祭神を氏神と仰ぐ藤原氏は参詣途中にシカに出会うと、乗り物から降りて拝礼をしたというほど敬った。シカはまさに神の使いだった。
 そして悲劇が起きた。三作という少年が誤ってシカを殺してしまったのだ。当時シカを傷つけると、地面に掘った穴に顔だけ出して埋め、石をぶつけて殺す「石子詰」の刑が待っていた。三作もその刑で死んだ。現在は「伝説三作石子詰之旧跡」と記した石碑があるばかり…。
 駅を出てすぐに目につく噴水、奈良への散策はここから始まるといっていい。奈良といえば大仏。噴水の上には、大仏のある東大寺創建に尽力した僧、行基の像が、東大寺の方角を向いて立っている。


 東向通り商店街から興福寺の境内に入ると突然、仏教や歴史の風景といった雰囲気になる。興福寺の境内は奈良公園内でもある。奈良公園は、東西四qに及ぶ日本最大級の公園だ。青々とした芝にはシカが群れ、敷地には興福寺をはじめ、東大寺・春日大社・奈良国立博物館など、奈良の名所が点在する。


 奈良時代は藤原不比等が動かしていた。そう考えると、藤原氏の氏寺、興福寺の存在がどれほど重要であったかが知れる。高くそびえる五重塔や、北円堂や南円堂も、そんな力がなせる技なのだ。
 さて、五重塔を写真に収めるなら、ぜひ猿沢池から撮ることをオススメする。木々の上にその姿を半分ほど覗かせるさまは、1枚の絵になるほど美しい。南都八景の1つ。猿沢池は芥川龍之介『龍』や謡曲『采女(うねめ)』の舞台にもなっている。采女とは女官のことで、天皇の寵愛を失ったある采女がこの池に身を投げた伝説がある。畔にはその際に衣をかけたという「衣掛柳」がひっそりと立っている。


 さらに東へ向かうと、ぱっと視界が開け、明治の洋風建築である博物館が見えてくる。その裏手には新館があり、仏教や仏像に関する展示物を見学できる。わかりやすく説明してあり、しかも無料で入館できるので、奈良を理解するためにも立ち寄りたいところ。


奈良の大仏がある東大寺大仏殿
 東大寺への参道から急に観光客が多くなる。ちなみに、東大寺とは「平城京の東にある大きな寺」の意で、今では通称が正式名称になった観がある。玄関口、南大門の両脇には運慶・快慶作の金剛力士像が。この世界最古の楼門は国宝で、柱には戦国時代の松永久秀の乱のときに開けられた鉄砲玉の跡が残っているなど、時代を感じさせる。
 その先の大仏殿には奈良の代名詞、大仏が。この“奈良の大仏”も通称で、正式には「毘廬舎那仏(びるしゃなぶつ)」という。当時の2人に1人が大仏造りに携わったといわれるが、派手な巨大建造物とは裏腹に、生活苦にあえいだ平民の姿があったことや、坊主になれば3度の飯にありつけるとして僧が急増したことは、なんとも皮肉である。
 大仏は聖武天皇と妻の光明皇后(藤原不比等の娘)の発願だが、骨肉の争いが絶えない政情不安や、子宝に恵まれない事情を抱えた2人の行動は、仏教信仰者の域を超えた所業に思えてくる。
 ところで、奈良は2度の戦で焼け、再建を繰り返している。今の奈良の風景は、国宝であってもそのほとんどが鎌倉時代に再建されたものだ。とすると、私たちは鎌倉時代を通した奈良の文化を目にしていることになる。そうであっても、過去の文化を守る先人の努力が息づいていることを感じる。シカが草を食むのどかな奈良の街は、そうした雰囲気を持っている。


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