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200号 注目の人 歌手/夏川 りみさん

「私の歌が1人でも多くの方の、心の支えになり、
癒しになり、元気のもとになってくれたら、うれしいですね」
夏川 りみ/歌手
Profile

夏川 りみ/歌手
1973年沖縄県石垣島生まれ。
3才から歌い始め、数々の「のど自慢大会」で優勝。
86年、「長崎歌謡祭」に出場し最年少でグランプリを受賞。
99年、「夏川りみ」でデビュー。
02年『涙そうそう』が大ヒットし、日本レコード大賞金賞など数々の賞を受賞。04年12月、愛・地球博テーマソング『ココロツタエ』リリース。
05年『ドラえもん』の新オープニング曲『ハグしちゃお』、『さようなら ありがとう』をリリース。
NHK『紅白歌合戦』4年連続出場を果たす。


『涙そうそう』に出会って沖縄の素晴らしさをあらためて教えてくれたんです。

親戚の家の庭にて

親戚の家の庭にて

 私が生まれ育った石垣島は、青い海と白い珊瑚礁の砂浜が広がる、本当に美しいところです。でも、昔はなかなか好きになれなくて、何もない小さな島から早く都会に出たい、そんなことばかり思っていました。 

 それが変わったのは、『涙そうそう』に出会ってから。初めてこの曲を聴いたとき、「沖縄っていいナ~」って思った。この曲が沖縄の素晴らしさをあらためて教えてくれたんです。

 最近は沖縄ブームで、沖縄の音楽が注目されるようになって、うれしい反面、もっともっとがんばらないといけないなっていう気持ちですね。私も負けていられない。昔は自分が沖縄の歌を歌うようになるなんて、思ってもみなかったんですけど、やっぱり私の中にも沖縄の血が流れているから、これは自然なことなんだなって思います。


演歌で培った歌の基礎

 もともと歌うのが大好きで、小さいころから父の特訓を受けていました。父も昔は八重山民謡を歌っていて、多分自分が歌手になりたかったんだと思いますが、きっとその夢を娘に託していたんでしょうね。

 小学校2年生のころから毎日家に帰ると、2時間は歌の練習。友だちが遊びに来ても、歌の練習が終わらないと遊ばせてもらえない。少しでも変な歌い方をすると、父にすごく叱られて。厳しかったですね。

 たまに歌わない日があると、近所の人たちから、「今日は歌が聞こえないけど、りみちゃん具合悪いの?」って(笑)。それぐらい毎日歌ってたんですよ。

 私自身は、中森明菜さんの曲などが好きだったんですけど、父から歌わされるのは、いつも演歌。いやいや歌っていたときもありましたが、今は父にすごく感謝していますね。もし、最初に民謡を教えられていたら、民謡しか歌えなくなっていただろうし、演歌で歌の基礎をしっかり教えてくれたからこそ、今どんな歌でも歌えるんだなって。父はそのことをちゃんと分かっていたのかもしれないですね。

挫折から「夏川りみ」の再デビューへ


 中学1年のときに、「長崎歌謡祭」に出場しました。それまで何度も「のど自慢」には出ていましたが、初めての大人と一緒の大会。その大会で、最年少で日本一のグランプリをいただいたんです。そのとき、「絶対歌手になる」ってすごく気持ちが固まりましたね。

 たまたまタイミング良くスカウトされて。うれしかったですね。東京に行くためにがんばってきたようなものでしたから。

 最初は「星美里」の名前でデビューしました。でも、デビューはしたもののCDも売れず、仕事ももらえない。気が付いたら、もう4年も過ぎていました。ずっとこのまま東京にいても、多分同じ状況が続くだろうなって、そんな気がして、1度沖縄に帰ろうと思ったんです。

 だけど、石垣には帰れない。小さな島だからすぐにうわさが広まって、「失敗して帰ってきた」って言われるのもイヤだし。それなら、沖縄の那覇で姉が店を開いていたので、ちょっと行ってみようかなと思ったんです。今考えると、それが良かったんだと思います。

 那覇には知ってる人もいないから気も楽だったし、姉の店でも、毎日歌っていました。それまでは八重山の民謡しか知らなかったけど、初めて沖縄の歌を聴いて、沖縄にはこんないい歌があるんだって、すごく勉強にもなったし、毎日楽しかったですね。

 そのうち、「あの店には歌のうまい子がいる」という評判になり、遠くからタクシーで聞きに来てくださるお客さんもいたんですよ。だんだん、もう1度歌手として歌いたいという思いが強くなって。そんなころ、レコード会社の方を紹介され、今度は「夏川りみ」で再デビューすることになりました。

 あの那覇での2年間、沖縄の歌や言葉や人柄に触れられたことが、今全部生かされていますね。あの2年間がなかったら、今の私はいなかったかもしれません。

すべてを変えた『涙そうそう』との出会い

平成元年12月。星美里でデビューしたころ

平成元年12月。星美里でデビューしたころ

 そして、「夏川りみ」のデビュー2年目に、『涙そうそう』に出会ったんです。沖縄サミットで、BEGINが歌っているのを初めて聴いて、「いいなー、こんな歌を歌いたいな」って。それ以来、曲のフレーズが忘れられなくて、夢の中でも起きてても、ずっと頭の中で鳴ってるんですよ。

 それで、BEGINのコンサートに行って、楽屋でいきなり「あれ、ちょうだい」って(笑)。すごくびっくりしてましたけど。

 この曲が大ヒットして、1番喜んでくれたのは父ですね。初めて『紅白歌合戦』に出場が決まったとき、父は「あんたは世界一親孝行な娘だね」って。小さいころから、「歌手になったら、紅白に出よう」と、いつも父と約束していたんです。「その約束をりみは果たしてくれた。あんたはすごいよ」。父にそう言われたとき、ものすごくうれしかったですね。

 そのときの『紅白』にはBEGINも一緒に出場していたので、石垣はもう大変(笑)。空港から、島中に「出場おめでとう」の横断幕がかかって、びっくりしましたね。みんなから「沖縄の誇りだよ」って言われて、歌ってきて良かったなと心から思いました。

 『涙そうそう』に出会って、本当にすべてが変わりました。やっと、自分らしさが分かって自信が出てきた気がします。それまでは、沖縄の言葉もあまり使わないようにしていたけど、「なまっていてもいいサー」って思えるようになったし。三線まで自己流で弾き始めるようになって。ここまで沖縄の歌にハマるとは、自分でもびっくりしているんですよ(笑)。

 歌に対する姿勢も変わりました。以前は、与えられれば何でも歌うよって感じだったけど、『涙そうそう』を歌うようになってから、自分はこんな歌を歌いたいと、はっきり言えるようになりました。やっぱり、自分が本当に好きな歌を歌うことが大切だと思うし、ただ歌わされているのとでは、全然伝わり方が違うと思います。

 それと、昔は「私の歌を聞いて!」っていう気持ちがすごく強かったんですよ。でも、最近は、いい歌なら自然に聞いてくれるはずだから、「よかったら聞いてね」って。そんなふうにフッと力が抜けるようになりました。

歌は大切な「子どもたち」

11才のとき。昭和59年7月28日、大阪素人名人会にて

11才のとき。昭和59年7月28日、大阪素人名人会にて

 昨年の11月に新曲『さようなら ありがとう』を出しました。小渕健太郎さんが、ご自分の亡くなったお母さまを思い出し、「母はきっとこんなふうに思っているだろう」という気持ちを込めて、詞を書いてくださったんです。

 ちょっと悲しいけれど、優しくて元気になれる、そんな曲です。悲しい思いを乗り越えようとしている人たちに、1人じゃないよっていう励ましの気持ちが伝わればいいなと思っています。

 最近は、いろいろな方々が私をイメージして曲を作ってくださる。本当にいい歌ばかりで、ありがたいなって思いますね。その1つ1つの歌が、自分の子どものような気がするので、その子どもたちを大切に育ててあげたい。『涙そうそう』はもう独り立ちして、日本だけじゃなく、いろいろな国で歌われたり、勝手に歩き始めてますけど(笑)。

 この『涙そうそう』には、いろんなエピソードがあって、たとえば自殺を考えていた人が、この曲を聴いて、「生きなきゃいけない!」って思ったとか。本当にたくさんのお手紙を頂くんですよ。歌は人の心まで動かせる、そう思うと、歌ってすごいなと思いますね。

 私自身は歌うことが大好きで、ただ聞いてもらうことが大好きなだけなのに、コンサートでも「ありがとう、元気が出ました」って言われるとすごくうれしい。私の歌が1人でも多くの方の、心の支えになり、癒しになり、元気のもとになってくれたら、と思います。

 歌って本当に不思議なもので、私もつらいときや悲しいときがあっても、歌の世界に入ると全部忘れられるんですよ。歌はそういうものじゃないといけないと思いますね。


 コンサートで歌うときは、いつも沖縄の青い空や海、心地いい風を思いながら歌っています。優しい歌を歌っていると、自分自身の心も優しくなりますね。でも、ゆったりした曲が多いので、コンサートで眠くならないかなと思うんですけど。「眠くなったら寝てもいいよ」って言うと、本当にぐっすり寝てる人もいて(笑)。だから、ノリのいい歌で「もう起きてね」って踊ったりします。

 そして最後に、「また会おうね」って言うと、皆さん本当にいい笑顔で答えてくださる。それを見ると、お客さまがあって今の私がいる。多くの人に守られているんだなと思います。

 最近は、『童神(わらびがみ)』という曲が「胎教にいい」といううわさが広まって、妊婦さんとか、お子さん連れでコンサートにいらっしゃる方がすごく増えたんですよ。親子で一緒に歌を楽しんでほしいというのが私の夢でもあったのでうれしいことですね。

新しい年の始めに

11才のとき。RBC琉球放送「カラオケ大会」にて

11才のとき。RBC琉球放送「カラオケ大会」にて

 昨年は、愛知万博で、谷村新司さんが書いてくださったテーマソングを歌ったり、『ドラえもん』のオープニング曲を歌ったり、初めてアメリカ公演をしたり、なんだかすごい年だったなあ、と思います。

 今年はできれば、自分で作詞、作曲なんかもしてみたいなと思っています。少しずつ手掛けてはいるんですけど、まだなかなか形にならなくて。それと、チャンスがあったら、海外にももっと行きたいですね。昨年、初めてロサンゼルスで歌ったとき、アメリカ人から「いい声してるね」って言われてちょっと驚いたんですけど、海外でどんな反応が返ってくるのか、それはすごく興味がある。

 コンサートの全国ツアーも昨年は120ヶ所以上回ったので、今年もがんばりたいと思います。コンサートが終わると、毎回、反省会をかねて打ち上げをするんですけど、おいしいお酒とその土地のおいしいものをいただく。そのたびに、こんないい仕事はないなって思うんですよ。大好きな歌を歌えて、聴いてもらえるこの喜び。もう、最高ですね(笑)。

 「今年1年、皆さまにとっても素晴らしい年になりますように」。りみも祈ってるサー!

(千代田区ニッポン放送本社ビルにて取材)



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