◆○×テストにカルチャー・ショック
プラハでの5年間が過ぎ、中学2年の3学期に日本に帰国。地元の中学校に編入した私は、ほとんどのテストが○×式か選択式であるのに、ひどく面食らいました。例えば「次の文章の内、正しいものには○を、間違ったものには×を記せ」という設問。「刀狩りを実施したのは、源頼朝である。鎌倉幕府を開いたのは、源頼朝である。『源氏物語』の主人公は、源頼朝である」。冗談かと思いましたよ(笑)。プラハの学校だったら、「鎌倉幕府が成立した経済的背景について述べよ」「京都ではなく鎌倉に幕府を置いた理由を考察せよ」というかなり大雑把な設問に対して、限られた時間内に獲得した知識を総動員して論文提出か口頭試問で、ひとまとまりの考えを、他人に理解できる文章にして伝えなくてはならなかったから。また高校受験用文学史に出てくる本は同級生は皆読んでいるものと思い、焦って古典から現代まで原典を読破しましたが、そんなことしたのはクラスで私だけ。みんなは本を読まない代わり、書かれた年、著者については完璧に暗記していた。1つ1つの知識の断片はあくまでもお互いに連なり合う文脈を成しており、その中でこそ意味を持つもの。なのに日本の学校では、知識はバラバラに腑分けされて丸暗記するよう要求される。これは辛かった。ひたすら部品になり切れと迫られるようで、人格そのものが切り刻まれていく恐怖を感じました。心配になりましたよ、私、死ぬまで日本には適応できないんじゃないかと(笑)。
日本の子がテストの点数を周囲に隠したがるのにも驚きました。点数が悪いと人格すべてを否定されたように思ってるのかしら。テストの点なんか、自分のほんの一部でしかないはずなのに。それから、勉強したいことで学校を選ぶのでなく、偏差値で選ぶシステムも変。
みんな目的は「幸せになること」のはず。「いい学校入って、いい会社に行く」のはあくまで手段なのに、それが逆転し"手段"が極端に肥大化して"目的"になってしまっているのが、日本社会の問題なのではないか。それは今も続いているような気がします。