居心地研究家/居心地評論家
 (やすはら よしひで)
   安原 喜秀さん

東京生まれ。1992年に居心地を研究する初の「居心地研究所」を設立。
東海大学大学院客員教授。

建物の外観に居心地はあるのだろうか?

■「住まいへの思い」から「いごこち(居心地)」へ
 「いごこち(居心地)」に目覚めたのは二十数年前になる。いまほど「いごこち」がこのように普通に見られないころである。
いまでは、「いごこち」と同類のような言葉、例えば「快適」、「いやし(癒し)」、「ヒーリング」などとともに「いごこち」は氾濫しているといっても過言ではない。現在の生活状況をあらわしているにちがいない。
 当時、「いごこち」がこれほどまでになるとは予想もしなかった。
 この言葉に惹かれたのは、ある本を著したときである。
 もう故人となった武者公路規子氏との8年にわたる共同作業によって、「住の思想へ」むけた共著『大都会の小さな家』(筑摩書房)を出した。1988年の秋であった。内容は、すぐれた文筆家にして「住まい観察」の達人たちの文章、それらの深い森に踏み込んで「住まいへの思い」がどのようにあるのか探り、その奥に潜む、できれば誰にでもあてはめられる構造をつかんでみたい、というものだった。そこから出てきたのが3つのキーワード。
 当時それぞれに悩みを抱えていたふたりの目が拾った、先人に学ぶ視点である。「場所」「手作り」「いごこち(居心地)」がそれで、「住まいへの思い」はこれら3つの思いが、さながら3原色のようになって、微妙に調合され複雑な色合いをもって、語られていた。
 「場所」への思いとは、住まいの存在する場所であり空間であり環境でもあるものへの思い。そこには過去の記憶が秘められている。
 「手作り」への思いとは、住まいの実現にどれほどであっても自分が参加していく、みずから創ったという感覚、それへのこだわり。
 そして「いごこち」への思い。住まいの歴史を見るならば、人間はいつも「いごこち」を求めてきているといえるのだから当然といえば当然である。定義するのはむずかしかったが、「いごこち」としか表現し得ない確としたものがある。
 なかでも「いごこち」が面白くむずかしい。これを解かないことには「住まいへの思い」も十分にはならない。そうして「いごこち」の研究が始まった。

人は居心地のいいところを求めて集う

■「いごこち(居心地)」の研究所へ
 「居心地」という言葉は明治40年前後に使い出されたようで比較的新しい。仮名の「いごこち」のほうはさらに新しいようである。
 「いごこち(居心地)」をもっともシンプルに定義するなら、「居るところの心地」となる。ところがそこから先が大変である。「居るところ」というのは物理的な空間のみを指すわけではない。人との関係や精神的な「心の置き所」のようなものまである。物理的な空間に限っても無数、そこで得られる心地がまたひとそれぞれであるから無数。
 しかしこのシンプルな定義にしたがえば、「いごこち」はどこにでもあるはずである。「居るところ」があるなら「いごこち」はあるのである。けれども例えばビジネスの世界では「いごこち」は意識されないのが普通であろう。あるいは無意識のうちに「いごこち良さ」を求めて行動しているといってもよい。あるいは「いごこち」そのものを考えないようにして意識の奥にしまいこんでいる場合も多いのかもしれない。
 「いごこち」は意識される途端に「いごこち良さ」か「いごこち悪さ」かのどちらかに針が振れる。当面意識されなかったことがあとになって「いごこち」が思われて「良さ」「悪さ」を思うことなどは典型である。
 「いごこち」は個人的なもの、とよく言われる。だからといって孤立ばらばらなものが絶えず衝突しているのだろうか。もしそうなら、それでよいのか。現在の個人の「いごこち」が決して満足の水準にないことはさまざまな言動からあきらかである。束の間の(短時間の)「いごこち良さ」を求めるなら、自然にも趣味にも沈潜してもいい。しかし「みんなのいごこち」例えば、公共の場、みんなとやっていく場所での共有する「いごこち」はどうなのだろうか。
 つぎつぎと湧いてくる「いごこち」への疑問。やすやすとほどけない絡まった無数の糸のようでもある。しかしこれには、いま切実な、家庭・学校・職場・あるいは国家の抱えている問題を解いていく新たな方向を秘めていると思えるようなところまできた。研究はさまざまな分野にまたがり、壮大な研究所の構想へとつながった。

■生きる拠り所としての「いごこち」
 昨年(2007年)秋から大学院でも『いごこち研究』という授業を認めてもらい開始した。日本で、いや世界で初めてであろう。授業は暗中模索であるが、若者から「いごこち」への関心を引き出すこと、新分野なのだからともに学ぼうというものである。
 学生は真剣勝負に予想以上に反応してくれた。終了後、数人の学生が、いきなり私の「居心地研究所」の所員になりたいと言い出した。勧誘も宣伝もしていない、研究所の実態についてろくな説明などしていないのに、若者たちはただこの言葉に惹かれて、これからずっと「いごこち」にこだわり続け、私とも付き合っていきたいと
言い出したのである。
 ひとりの学生は「自分探し」をしたいため、と言うし、さらに別の学生は「いずれ、生まれ故郷の親元に帰らなければならない。そこで斜めに傾いた親の家業も継いでいくだろう。家族ともうまくやっていかなければならない、地域ともうまくやっていかなければならない。なにもかも「いごこち」の問題が待っているんですよ。一生「いごこち」を考えていかなければならない」と言う。「いごこち」は彼らの生きる拠り所にもなりつつある。

ノーベル賞詩人・サイフェルトがこよなく愛したプラハ・ペッシーン丘

■硬直した枠組みを脱け出す「いごこち」
 私が幼児から育ったところは多摩丘陵のはずれで、そばにある「多摩ニュータウン」ができる以前である。越してきたころは、東京都というのに下水道はもちろん、電気もガスも水道もなかった。
 そこは丘と谷が交互に続くところである。丘の上に立つと、丘はひとしなみ変わらぬ高さであり、丘々の畝が波状になって遠く海原のように木々の間から見える。先のほうは青く霞んでいる。何もなくても、そこの空気に包まれながら、農道やけもの径をたどって歩く楽しさは言うにいわれぬ幸福感を味わわせた。
 行き掛かり上、ずっと見てきたつもりだが、この丘に建つ団地の計画には「場所への思い」もなかった。そのような丘のたたずまいに繋がる丘の魅力を引き出しはしなかった。私の丘の風景は奪われた。けれどもいま、この計画のスタートについて問うのではない。
 いまここの住み手は高齢化が進み、空き家も増えつつある。それでも多くの課題に取り組もうとする住民の努力もみられる。住民が中心になった街づくり研究も盛んに行われている。そこでは若者をいかにひきよせるかが大きな課題だという。同様に各地でも若者を招く方策に心をくだいている。
 先に見た「いごこち」に関心を寄せる学生たちや、私の「いごこち」への取り組みに興味を寄せるたくさんの婦人方に接すると(私の「いごこち論」からすれば女性が関心を持つのは当然なのであるが)、団地の計画を「住み手」と「作り手」という枠組みから発想することはなんと硬直しているものだ、と感じざるを得ない。
 彼らから学ぶのは、もう違う文脈上に彼らがいるということだ。総じてみんないま「いごこちが悪い」と感じている。自分の拠り所としての「いごこち」と、「団地のいごこち」(もしあるならば)がどのような平面で繋がるのかはっきりしなければならない。
 例えば、その団地は喜んで死にいけるところであろうか、平安な心持ちで老いるところとしてあるか、「いごこち」はそんな問いもつきつけるのである。ひところあった団地への夢はもうとうに終わっている。

居心地研究所
www.igokochilab.com
本年6月博多駅前通りのビルにて『「いごこち」論』の講演予定。お問い合わせは居心地研究所(TEL042-727-0818)まで。



団地再生研究会URL
www.danchisaisei.com
団地再生産業協議会
www.danchisaisei.org

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