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本音のエッセイ

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342号 民俗情報工学研究者 井戸 理恵子さん

通夜—亡き人と過ごす—

民俗情報工学研究者 井戸 理恵子さん

民俗情報工学研究者 井戸 理恵子

井戸 理恵子/民俗情報工学研究者

1964年北海道北見市生まれ。國學院大學卒業。多摩美術大学非常勤講師。著書に『日本人が大切にしたいうつくしい暮らし』(かんき出版)他。現在、永平寺機関誌『傘松』連載、ニッポン放送『魔法のラジオ』企画・監修。ゆきすきのくに合同会社代表。

 人には生まれた時から行うべき「通過儀礼」というものがあります。

 お七夜、宮参り、百日祝い、七五三、成人式、結婚式、還暦、古希、喜寿、傘寿、卒寿、白寿…と。その他、誕生日、結婚記念日なども含めると、日本人は古くからこうした「通過儀礼」と呼ぶことの可能な「祝い」の場がありました。そして、その祝いの場にはその都度その時々に応じた「縁」のある人々が集まり、その「縁」を通して、自らの「今」を確認するのです。それは「過去」への決別と「未来」への決心。それまでの自分とこれからの自分。その岐路を深く、潔く認識し、「これから」に挑んでいくわけです。それぞれの人生の区切りをその時折の縁のある人たちと大切に祝う機会というものを得ていたのです。

 こうした「通過儀礼」の最後に当たるのが「葬儀」です。「祝い」というにははばかられる気もいたしますが「結婚式」というものが女性の生家との決別、そして、嫁ぎ先という新たなステージでの生まれ変わりの儀式であるように、「葬儀」もまた、あの世という新たなステージへの門出を示す「祝い」でもあったのです。

 ここ最近、葬儀に出席することが多くなり、その都度悲しくなることがあります。それはあまりにもこの「儀礼」としての「葬儀」を軽んじているということ。故人の遺志によるもの、あるいは遺族の資金的なこともあるかもしれません。

 しかしながら、認識として押さえなければならない点がいくつかあります。

 今や「葬送儀礼」も単なる「葬式」として、仏教や神道、キリスト教などの宗教、あるいは葬儀屋などの業者任せになっています。しかし、本来は家ごとに大切に行われてきた「民間信仰」。家族や親族、友人たちが亡き人をしのぶ機会。故人が安心してあの世へ旅立って行くための準備と支度をするのです。そして、そのために設けられた特別な時間としての「通夜」という習慣。

 「通夜」とは夜通し、亡くなった人が別れの寂しさを感じないようにと、灯りやお香を絶やさず、遺体に寄り添うこと。故人をしのんでさまざまな縁のある人たちがその人しか知り得ない故人の生前の話などしながら、互いに故人の「遺志」を確認し合うのです。つまり、「遺志」を継ぐ、のです。

 昨今「忙しいので通夜のお焼香だけ済まして来た」などという軽い気持ちで行かれる方も多いはず。しかしながら、「通夜」こそ、思いのある者が集い、亡き人と最後に交わることのできる機会だったわけです。

 実は我々の祖先たちは五穀豊穣をもたらしてくれる氏神様が一度お山やあの世へお帰りになられる際に行う祭りのことも「通夜」と呼び慣わしていました。

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